無意識の選択
カルチャースクールの三線教室を終えて、電車で帰っているときでした。
母から電話がかかってきました。
内容は、父が倒れたとのこと。
話を聞けば、命に一応別状はないとのことでしたが、病院に運ばれるまでのいきさつを聞いてみると、一歩でも選択を間違ったら、おそらく葬式の電話になっていたかもしれないというくらい、きわどい内容でした。
結果として、父が見事な選択をしたおかげで、入院で済んでいるわけですから、その辺はさすがといったところでしょうかねぇ。
命に係わる病気や事故って、本当に些細な選択で助かるケースがあったりしますよね。
まあ病気や事故に限らず、ここ一番で最善の選択ができれば、結果は最悪でないものが得られるのでしょうね。
で、ここがポイント。
選択をしたからと言って、最高のものが得られるわけではない、ということ。
基本選択は、最悪でないものが得られるように、人は無意識で選択します。
それは、私がよく宝くじのお話をする例でわかるわけです。
① 宝くじを買って、1億円当たった、と思って銀行に行ったら、10万円だった。
② 宝くじを買って、どうせ当たらないだろうと思っていたら、1万円が当たった。
あなたは、どちらがいいでしょう?
この質問をすると、9割以上の人が②を選ぶんです。
なぜなら、がっかりしたくないから。
この心理パターンがある限り、選択するときも同様に、「最悪でない」ものであればよし、という選択になります。
がっかりする
期待を裏切られる。
これって、皆さんが思っている以上に、心に与えるダメージが大きいから、そうならないように選択するんですよね。
皆さんが思っている以上に、人は「期待に裏切られたくない」と思っている部分があります
先ほどの宝くじの話を例にしますと、
がっかりする10万円と
うれしい1万円
数字だけ見れば、10万円のほうが嬉しいはずなのに、なぜかみなうれしい1万円を選択する。
この「がっかりする」という気持ち。
期待を裏切られる、と言い換えますが、これって、皆さん本当にいやみたいですね。
もちろん私だっていやです。
でも、ここでちょっと質問。
期待通りのことが起きたら、皆さんどう感じるでしょうか?
応えは、特に何も感じない、です。
なぜなら、期待通りというのは、当たり前と同じだからです。
当たり前のことは、意識もしないし、評価もしませんからね。
つまり、期待というのは、期待以上か期待はずれでないと認識しない、ということになります。
まあそもそも、期待すること自体が間違っているともいえるんですけどね。
以前「期待と信頼」という心理学講座でもそのあたりを書いておりますので、よかったら探して読んでみてください。