2020.8.15 心理学講座 怒りとけんかのコミュニケーション⑬
終 章「けんかにもルールがある、かも」
前回までのお話で、けんかのプロセスについてお話ししてきましたが、ちょっとスポーツに例えてみます。
スポーツには、それぞれルールというのがあります。
選手は、それらのルールに沿って競技を行うわけですが、もしルールがなかったり、ルールを守らなかったりしたら、どうなるでしょう。
その場合、スポーツではなくなってしまい、観戦する方も楽しいとは思えなくなるでしょう。
ルールという決められた状況の中で、お互いの最善を尽くすスポーツだからこそ、楽しく観戦できるというものです。
では、けんかにはルールはあるのでしょうか?
これは私なりの考えなのですが、実際には「暗黙のルール」みたいなものがあるのではないかと思っています。
またそのルールは人それぞれ違いがあるものかもしれません。
手を出してはいけないとか、こんなことだけは言ったりやったりしてはいけないとか。
人は無意識に自分の中にルールを作り、そのルールに沿って自分の考え方や行動を決めていきます。
そのルールが無視されるとき、またはそのルールが他人のルールとまったく違うとき、それはけんかではなくなってしまうのかもしれませんね。
さて、個人的な意見ですが、けんかについて皆さんに守っていただきたい、最低限のルールをいくつか提案したいと思います。
ひとつは、けんかは両成敗であること。
どちらかが悪いのではなく、そもそもけんかになった時点で、両方に問題があるということ。
2つ目は、自分と相手を対等に扱うこと。
自分と相手を対等に扱うことは、けんか以前に人としてのルールだと私は感じています。
自分がされていやなことは相手にしないことでしょうね。
3つ目は、赦すということ。
けんかを始めても、どこかで赦さなければ終わることなくけんかが続いてしまいます。
赦さないけんかは、ただの暴力的な押し売りでしかありません。
4つ目は、自分の行動、言動に責任を持つことです。
無責任な発言や行動は、結果としてよい関係を生み出すことはできません。
自分がしたことには、きちんと自分自身で責任をとりたいものです。
ここに挙げた4つのルールですが、実際私自身も守れているわけではありません。
そこは人間ですから、完璧などありえないんですよね。
でも、そうありたいと願う気持ちが、きちんとした「ルール」を創り出してくれるのかもしれません。
けんかはコミュニケーションの表現方法のひとつに過ぎません。
その表現をどのように扱い、どのように使い、どのように責任を持つのかは、個人の力量に託されています。
お互いが成長できるような、そして最後にはお互いが理解し合えるような、そんなコミュニケーションにしていきたいものですね。
最後になりますが、いい夫婦は喧嘩をしないのか?
いい夫婦になるために喧嘩が必要なのか?
この答えは、皆様の実生活によって導かれる事でしょう。
けんかをするしないが、いい夫婦になる事とは直接関係はないでしょう。
いい夫婦というのは、喧嘩をしてもしなくても、お互いを理解したいと、コミュニケーションを取る努力を惜しまない結果、信頼関係が構築されて「いい夫婦」になっていくのでしょう。
お互いの感謝を忘れない気持ちが、とても大切なんですよね。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
「怒りとけんかのコミュニケーション」はこれで最終回になります。
ずっと読んでくださった方々には、心より感謝いたします。
ありがとうございました。