2020.6.9 心理学講座 リーダーシップとヴィジョン(リーダーシップへの道5)
小学四年生の時のお話です。
クラス対抗の男子ドッジボール大会があったのですが、大会終了後にクラスの人気者の男の子が、転校することになりました。
その時、クラスの男子が「転校するN君に、優勝をプレゼントしよう!」
ということになり、クラス一丸で大会に臨みました。
初戦は僅差で敗れ、全員が「優勝できるのか?」と不安になりました。
すると、ある男子が「朝練をしよう」と言い出して、その日から朝練が始まりました。
私はあまり球技が得意ではなかったので、朝練は私のような人間に対して行われたわけです。
まあ大会中の一週間、しごかれましたね。
結果、初戦以外全勝で、見事優勝を飾り、転校するNくんに素敵なプレゼントをすることができました。
さて、この時のリーダーシップをとったのは誰でしょう?
転校するNくん?
もちろん彼はリーダーシップをとりました。
彼の存在が、クラスを一つにまとめ上げましたからね。
優勝しよう、という思いは、転校するNくんと素敵な思い出を共有したい、という全員の気持ちの表れでもあります。
想いを一つにまとめ上げたこと、これがNくんのリーダーシップです。
そのほかにも、優勝をプレゼントしようといった子や、朝練をしようと言ってくれた子も、リーダーシップをとったといえるでしょう。
彼らは実際に優勝するためにできることを考え、実行に移していったわけです。
同じく、運動が苦手な子や、試合に参加できない子たちや女子は、精いっぱい応援することで、クラスの士気を高めたわけです。
気付いていますか?
クラスの全員が、リーダーシップをどこかで発揮しているんですよね。
思いは一つ
ステキな思い出を作る
この「ステキな思い出を作る」という目標
これがヴィジョンと言われるものです。
リーダーシップとヴィジョンはセット商品のようなもので、ヴィジョンを達成するためには、リーダーシップのプロセスが欠かせないわけです。
最近では、リーダーシップのプロセスを端折ってヴィジョンを手に入れる、という話や講座を目にしますが、それは本来のヴィジョンではありません。
本来のヴィジョンは、リーダーシップを貫き通したものだけがたどり着ける場所なんです。
リーダーシップは「やり残した事は必ずやらされる」わけですから、どこかでその問題と向き合う事になるわけです。
実際のカウンセリングであった事ですが、もう60歳に届こうかという女性が、まるで思春期の子供のような言動や行動をするわけです。
思春期は10代の多感な時期に、ほとんどの人が経験するわけですが、なかには経験せずに大人になる人もたくさんいます。
そして、思春期を経験しなかった人は、大人になってから「思春期のプロセス」をする人が結構いたわけです。
これが「やり残した事はやらされる」典型的な例でもありますね。
ヴィジョンというのは、簡単にいえば「目標」や「目的」を意味しており、結婚したいとか、幸せになりたいとか、成功したいとか、お金持ちになりたいとか、それぞれ目標にすれば、これはヴィジョンになります。
そして、ヴィジョンに向かって進む道そのものが「リーダーシップ」と呼ばれるわけです。
ヴィジョンに到達した人は、ある一つの義務を負います。
それは「後進にその道筋を示す」事です。
自分という存在が、みんなのヴィジョンになり、みんなが「自分のようになりたい」と、自分が歩いた道についてくるわけです。
この「自分が歩いた道」がリーダーシップですから、ヴィジョンまでの道をはしょってしまうと、説明ができなくなりますからね。
私個人の話をしますと、私自身も多くの後輩たちから、一つの「ヴィジョン」として見られていました。
多くの後輩たちが「私のようになりたい」と感じてついてきてくれました。
しかし、私自身は、みんなの「ヴィジョン」になる事はできませんでした。
それは、私が歩いた「リーダーシップの道」があまりにも厳しく、険しい者だったからです。
遭難して死にかかった登山コースを「君も登ってみたら」とはいいませんよね。
「危ないからやめておけ」というのが普通の人の正しい答えです。
それでも、その危ない登山コースを登ってしまう人もいるわけです。
私のリーダーシップは、危ない登山コースに入ってしまった人が遭難しないように導く事であって、決して普通の人が歩く道ではないんですよね。