孤独について2
皆さんは「今自分は孤独なんだ」と感じたことはありますか?
まあ私たちカウンセラーの間では「孤独感」というのですが、自分はひとりぽっち、誰ともつながれていない感覚が、孤独感なわけです。
これって、実は周りに人がいるかどうかって、あまり関係がないのはご存知でしたか?
例えば、周りにたくさんの人がいても、自分がそこから浮いていて、なんか一人ぽつんと立っているような感じ。
これも孤独感ですよね。
先ほども少し書きましたが、孤独感とは「誰ともつながれていない感覚」なんですよ。
でも、それは「誰もつながってくれない」わけではなくて、自分からつながろうとしないことの方が多かったりします。
もちろん、故意に周りからつながりを絶たれてしまって孤独になってしまうこともあります。
この場合、当の本人に責任はありませんよね。
ポイントは、孤独感は自分の主観によって感じるものであって、周りから強制される孤独感には隠れた意味があることを示しています。
例えば、山の中でたった一人歩いていても、孤独と感じる人もいれば、そう感じない人もいます。
これは、誰かとのつながりを感じることができているかどうか、だけなんですよね。
誰かとのつながりを感じることができれば、孤独感は消え去ります。
面白いのが、孤独だからと誰かを責めたり誰かのせいにしているときは、その「誰か」とつながろうとしている行為なんですよね。
実はつながっているんですよ。
また、引きこもっていても、パソコンやスマホがあれば誰かとつながっていることと同じことになりますから、孤独ではないわけです。
想像してください。
パソコンやスマホなど、ネットワーク機器のない状態で一か月、無人島で暮らす。
なかなか怖いものがあるかもしれませんね。
問題は、故意に周りからつながりを絶たれてしまうことで、これをされたら心が受けるダメージは計り知れないものになります。
いじめや差別がいかに相手を傷つける行為か、ということです。
で、実はこれにはちょっとした隠れた意味があって、つながりを絶つ人の最大の弱点は、つながりを絶たれることだって、知っていましたか?
たとえるならば、村八分にする人たちは、自分が村八分にされることを誰よりも怖がっているから、誰かを村八分にすることで、自分が村八分にされないようにしている、となるわけです。
ヤな話ですよねぇ。
自分からつながりを絶つ人は、その時の状況によっていろんな意味があります。
誰かに対する復讐だったり、恐いからだったりとね。
共通することは「自分が嫌い」ということです。
自己嫌悪が強ければ強いほど、自分と誰かのつながりを立とうとします。
また、絶えず誰かとつながろうとする人も、心の中には「孤独な自分」を抱えているのかもしれません。
孤独な自分を感じたくないから、絶えず誰かとつながろうとするし、誰かと一緒にいようとする。
付き合いがいい人や、いつも輪の中心にいる人、友達の多い人などの中に、こんな人がいるかもしれませんね。
誰よりも孤独が怖い人なのかもしれません。
でも、孤独感がないと、実はちょっと困ったりします。
なぜなら、孤独感がないと、人とつながりたいという気持ちが出にくくなりますからね。
強い孤独感は振り回されてしまいますが、適度な孤独感は、人とつながるためにはあったほうがいいわけですよね。
やっぱ「過ぎたるは及ばざるがごとし」なんですね。
孤独感を感じたときは、誰かとつながるチャンスです。
ほんの少しの勇気を出して、アタックしてみてください。
ただし、つながりやすい人からつながろうとしてくださいね。
いきなりつながりにくい人につながりに行かないように、ね。