2020.7.26 心理学講座 リーダーシップと「こうあるべき」(リーダーシップへの道29)
人には「こうあるべき」という考え方があります。
父親、母親は完璧であるべき
パートナーは自分に優しくあるべき
リーダーはしっかりしているべき
子どもは、親の言いつけを守るべき
政治家は、清廉潔白であるべき
「こうあるべき」という考え方があること事体は、別に問題ではありません。
ただ、自分の「こうあるべき」を相手に押し付けたり、相手がそうでない時に、相手をコントロールしようとしたり、攻撃したりすることは、大問題なわけです。
以前お話しした「当たり前」の考え方も、基本はほぼ同じかもしれませんね。
実はこの「あるべき」論
怒りと密接な関係を持っています。
例に出しますと、干した洗濯物を取り入れてたたむ。
これはみなさんだってふつうに日常でやりますよね。
中にはたたまずに野積みにする人もいますけど(私です、はい・・・)
私の知り合いで、洗濯物をたたむことだけが大好きなご主人がいて、奥様が
「なんで雨が降ってきたのに洗濯物を取り込んでくれないの?」
と、大喧嘩になり、離婚寸前までいったそうです。
この話自体はきっかけに過ぎなかったのですが、よくよく話を聞いてみると、奥様のご両親の話になり、どうやらご両親の行動や言動の影響で、あたりまえでないことが赦せない、というところまでいってしまっていたようでした。
これは人間関係の有無にかかわらず、自分の中にある「こうあるべき」という考え方から外れているとき、すごく腹を立てるわけです。
なぜなら、自分自身にも「こうあるべき」というのがあって、自分自身はそれを守っているからなんです。
実は「あるべき」というのは、その人がもつその人固有の「ルール」であり【禁止事項】なんですよね。
例えば「人に迷惑をかけるべきではない」というルールがあると、人に迷惑をかけるのではないか、と思ったことは行動に移すことができなくなります。
逆に、人に迷惑をかけている人を見ると、無性に腹が立つわけです。
無意識では「あなたも私のように、ルールを守りなさい!」といっているのと同じですね。
また、仕事などで「警察官はこうあるべき」「先生はこうあるべき」など、権威を感じさせる職業や役職についても、この「あるべき」というルールは、しばしば感じることができます。
良い言い方をすれば、それだけ皆さんが権威を慕っているともいえますが、悪い言い方をすれば、それだけ権威に依存しているともいえるわけです。
カウンセラーも、もちろん例外ではありません。
私が以前所属していた団体で、クライアントさんからクレームをいただいたんです。
「カウンセラーとはこうあるべきではないんですか?
それなのに中原先生は全然話を聞いてくれない!」
まあこのクレームをたくさんいただきましたよ。
リーダーシップにおいても、この「あるべき」というのはよくあります。
皆さんの中に「リーダーはこうあるべき」というのも、やっぱありますからね。
それを心のどこかが知っているから、皆リーダーになることを敬遠し、リーダーシップを怖がり、リーダーシップをとることになってしまったら、そのプレッシャーに苦しめられてしまうと思いこむわけです。
実際には思い込みでもないんですけどね。
ここで、「あるべき」リーダー像を上手に演出して、その演出したものを、みんなに求めさせるようにして、自分に負担がかからないようにすると、うまくいったりするわけですよ。
「こうあるべき」というのは、イメージなんです。
芸能人のように、イメージが重要な職業だとわかりやすいわけですが、イメージによってより飛躍することもあり、逆にイメージに押しつぶされたりもするわけです。
また、イメージは人と心を縛ります。
縛られて、心が疲れてしまう、なんてことも、良くある話です。
例えば、親の持つ「良い子」のイメージを演じ続けてきた子供が、「良い子であるべき」に縛られて、結果自分自身を苦しめてしまう。
これは身に覚えのある人は多いかもしれませんね。
自分がどのようなイメージで見られているのか
相手の「こうあるべき」がどのようなものなのか。
相手の「こうあるべき」に合わせる必要も、自分の「こうあるべき」に合わせてもらう必要もないんですよ。
ただ、相手の自分の「あるべき」の違いを理解し、受け入れることが、本当は大切なんです。
それが、相互理解であり、本当の意味でのつながりになりますからね。