自覚すること
今週に入って、なかなか体の疲れが取れなくなっています。
それだけ忙しい、というのもあるかもしれませんが、やっぱ歳をとりましたねぇ。
身体も意識も眠くて仕方がないのですが、どうしても神経が高ぶって眠れない。
自律神経のバランスが崩れているのでしょうね。
しなければいけないことがある
そう感じたとき、人はプレッシャーを感じます。
同時に責任もね。
それが自分の許容範囲内であればまだ問題なくこなせるのでしょうが、許容範囲を超えてしまったら、さてさてどうなるでしょう?
逃げちゃうこともあるし、それでも頑張っちゃって燃え尽きちゃうこともあるし、八つ当たりすることだってあるでしょう。
みなさんが「問題」と感じているときって、この「許容範囲」を超えたとき、なんですよね。
許容範囲を超えたときに、初めて意識が自覚をするわけです。
超えても自覚しない人もいっぱいいますよ(笑)
皆さんが「問題がある」と感じていることのすべては、問題を自覚した時から問題があるのではなく、問題を自覚する以前から問題、もしくは問題となりうる要因がぞんざいし、その問題が顕在化した時に、初めて問題と認識されるにすぎないということです。
これは問題に限らず、怒りも同じで、心理学講座「怒りとけんかのコミュニケーション」でもお話ししています。
自覚できないことを「どうにかしなさい」と言われても、まあほとんど無理ですよね。
自覚できないということは、その人にとっては「ない」のと同じですからね。
一部の例外を除いて、いくら「~してください」と注意しても直さない人って、自分がしていることが相手に及ぼしている影響を、全く自覚できていないわけです。
脱いだ靴下は洗濯籠に入れてください、とお願いしても、洗濯籠に入れない。
これは「洗濯籠に入れない」という行為が、洗濯する人に負担を与えている自覚がないわけですよね。
こういう人は、自分で選択をして、実際に困らないと自覚できないわけですよ。
それでも自覚しない人もいっぱいいますけどね。
カウンセリングでは「気付き」を大切にします。
気付かないとどうしようもできないですからね。
それと同じくらい「自覚」って大切なんですよ。
自覚できる自分になる。
そのためには、いろいろな創意工夫が必要かもしれません。
自分自身ですら大変なのに、人に自覚してもらうのはもっと大変、というのはわかりますよね。
気付くこと
自覚すること
この二つは、こころが成長するうえで、避けては通れないポイントと言えるでしょうね。