自分が感じたものを信じる
ネットなどで検索をして、お店の情報を見ます。
評価が高いので、おいしいだろうと思って、その店に行きました。
食べてみて、それほどおいしいわけではない。
でもみんな(ネット)はおいしいといっている。
だとしたら、おいしくないと感じる自分がおかしいのではないだろか?
で、友人から
「あのお店行ったんだって? おいしかった?」
ときからたら、どうこたえるでしょう?
「うん、まあまあ」
とか
「まあおいしかったと思う」
とか、いうかもしれませんね。
「いや、あのお店、ほんとおいしくなくてさぁ。もう二度とはいかないね」
という人もいるかもしれません。
多くの人は、あいまいな答えでお茶を濁すかもしれませんね。
よくありそうな話です。
日本人の心理として、行列ができていると、おいしいと思い込んでしまったり、みなと意見が違うことが、いけないことだと感じてしまったりすることがあります。
匿名性の高いところでは、思いっきり毒を吐いたりする人もいますよね(笑)
でも、それも誰かが毒を吐いているから、便乗して、というのも多いんですよ。
以前、大学でグループ発表があり、みんなで話し合って、わら半紙に内容を書き、私が発表をしたのですが、その時に、私の発表にかみついてきた人がいました。
まあ私の言っていることに揚げ足を取ってきたわけですが、それはいいんですよ。
討論することは大切ですからね。
ただ、私とその人が意見を交わしている後ろで、私にヤジを飛ばしている男性がいたんです。
正直、討論よりも、ヤジを飛ばしている男性に興味がありましたね。
私と決して目を合わさない。
ヤジを飛ばすと、すかさず存在感を消そうとする。
これが心理学の授業ですから、面白いですよねぇ。
まあ、先生は私と討論している人とが白熱し始めていたので、あわてて止めに入りまして、それはそれで面白かったんですけどね。
あのころは私も若かったよなぁ・・・
おっと、本題からずれてしまった(笑)
みんなと同じだからいい、みんなと違うからいけない。
これはどちらも、正しいわけではありません。
ただの世の中を渡っていく処世術です。
自分が感じたものを信じてあげる。
おいしいと感じたら、それは自分にとっておいしいし、おいしくないと感じたら、自分にとってはおいしくない。
自分が感じたことを、自分で否定するのは、結果自分自身をしんどくさせてしまいますからね。
それを表現するかどうかは、選択できます。
ですが、自分が感じたことそのものを、否定しないでください。
否定し続けると、自分自身も否定していってしまいますからね。
違うことは、悪いことじゃない。
あなたは、自分が感じたものを、信頼してますか?違いを受け入れられないことが、問題なんですよ。