相手の事を考える、という心理

最近、なぜだかわからないのですが、すっぽかされることが多いんですよね。

相手から急に連絡がなくなるわけです。

で、待てど暮らせど、連絡はなし。

気がつけば、予定の時間を過ぎている。

立て続けに3回あると、さすがにこれは何だ?という気分になります。

まあ12月ですから、いろいろと忙しいというのもあるでしょうし、皆さん自分の都合がありますからね。

個人的には、せめてキャンセルや変更の連絡があってもいいのになぁ、と思うわけです。

まあ、それだけのことをしても私なら許してくれる、と思っているのかもしれません。

たしかに、これくらいのことでは怒りませんよ。

こんなことで怒っていたら、きりがないもの(笑)

そうかと思えば、忙しいのに、わざわざ連絡をくれる友人もいます。

かなり気を使ってくれているのでしょうね。

よく、相手のことを考える、というのがありますが、相手のことを考えて行動したとき、必ずしも相手のためにならないときがありますよね。

これはなぜだかわかりますか?

相手のことを考える、というのは、相手の立場になって考えることです。

すると、まずあることをしなくなります。

それは、相手が嫌がることはしなくなるわけです。

同時に、自分がされていやなこともしなくなります。

相手のことを考えているつもりでも、実は自分のことばかり考えてしまっているときは、たいがい「おせっかい」になったり、やったことが裏目に出てしまったりします。

もちろん、いつもうまくいくわけではありませんが、相手のことを考えたときに、相手に対して意識が向くわけです。

で、こうすればどう思うだろうとか、ああしたら喜んでくれるだろうかとか、あれこれと考えるわけですよね。

ここで迷うときって、恐れがあるときです。

嫌われたたらどうしよう、機嫌を損ねてしまったらどうしよう。

こう感じているときは、選べなくなります。

一番問題なのは、相手のことを思っているように見えても、実は自分のことしか考えてないケース。

人に対してあれこれと世話を焼くのですが、なんかその後に見返りを求められそうな感じになったり、

してもらったことに感謝して、こちらがしてあげたときには遠慮したり、受け取らなかったり。

こういう時って、相手のことを見ているのではなくて、自分のことを見ています。

隠れた欲求。

これが見え隠れする人とのお付き合いは、なかなかに骨が折れるといえるでしょうね。

本当はしてほしいのに、素直になれない。

もっとしてほしいから、受け取らない。

この「もっと、もっと」というのが、欲求ですよね。

ストレートな欲求は問題ないんです。

わかりやすいから。

ところが、隠れた欲求はわかりにくいから骨が折れるわけです。

これだけしてあげたんだから、今度はあなたが私にこれくらいしてよ。

そんなのじゃ足りないから、もっと私にかまってよ。

これを言葉でいわずに、態度で表現してきますからね。

男女問わずですよ、ほんと。

私も気をつけよ(笑)

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