役に立っていないと感じる心理
私は役に立っていない
こう感じることって、皆さんはありませんか?
男性や、男性性の高い人などは、無意識に「誰かの役に立ちたい」と感じている部分が多くあります。
社会のためであったり、友人や家族、目標や夢のためであったり。
なにより、愛する人のために役に立ちたいと願っている人も、男女問わず多くいることでしょう。
でも、自分は役に立てていない、必要とされていない、と感じることのほうが多いかもしれません。
誰かのために、何かをしてあげたいと思うことは、自然なことです。
ただ、それが自分の想い通りにいかなかったり、相手の期待に応えられなかったりしたときに、「自分は役に立っていないなぁ」と感じてしまうわけです。
一般的に見て、役に立ったかどうか、相手の気持ち次第で、本来する側が役に立ったかどうか決めることではないんですよね。
ですので、相手から「ありがとう」「助かった」「おめでとう」「よく頑張った」など、感謝や賛辞、ねぎらいなどの言葉を言われた時に、「役に立てた」という気持ちを感じることができます。
大切なことは、相手の気持ちに応えることでも、自分の想い通りに結果を出すことでもなく、相手から「ありがとう」と言われることなのかもしれません。
まあ、相手からの「ありがとう」の言葉が受け取れない場合は、当然役に立っていないと感じ続けますけどね。
人は、できたことよりも、できていないことのほうに注目してしまいます。
なぜなら、できて当たり前と思っているから。
これくらいのこと、自分ならできて当たり前なのに、なぜできないんだろう。
そう感じたとき、いくら感謝の言葉を言われても、自分では納得がいかないわけです。
例えば、恋人からスマホアプリの設定について質問されたとします。
いろいろ調べて、解決策を探しますが、結果、恋人は別の誰かに教えてもらって解決してしまいました。
この場合、自分は役に立たなかったわけです。
このあたりで、自分を責めたりするわけですよね。
ここでよく見てください。
目的は、恋人の問題を解決することにあるのでしょうか?
それとも、自分がしてあげることに目的があるのでしょうか?
答えは前者ですよね。
誰であろうが、「アプリの設定方法」がわかればいいわけです。
その答えを導くのが、自分でなくてもいいわけです。
自分が!という気持ちは誰にでもあるものですし、やっぱ自分がしてあげたいという気持ちはあるわけです。
しかし、「自分が!」に固執してしまうと、相手の役に立つどころか、逆に欲求がたまってしまい、相手の足を引っ張る羽目になってしまいます。
サッカーでは、皆がゴールを決めたいと思っていますが、一番大切なのは、試合に勝つことですよね。
試合に勝てれば、だれがゴールしたっていいわけです。
きょうはゴールできなかったとしても、またチャンスはやってくるわけです。
役に立たないと感じたときほど、一度自分と向き合ってみてください。
本当の目的が何なのか。
本当の目的を見失ったとき、自分が自分に「役立たず」のレッテルを張っているんですよ。