「遠慮」の心理学
「遠慮」というのがあります。
遠慮とは
1 人に対して、言葉や行動を慎み控えること。
2 辞退すること。また、ある場所から引き下がること。
(デジタル大辞泉より)
と書かれているわけですが、まあ簡単に言ってしまえば、相手に気を使っている行為なわけです。
先日、受講生さんと話をしていて、ポッと気が付いたことがあるんです。
私の講座やワークショップでは、まあ大量のお菓子が出るわけです。
当然みなさん喜んで食べていただけるわけですが、中にはお菓子に手を付けない人もいるわけですよ。
もちろん、いろんな事情があったり、体調の問題があったり、好き嫌いがあったりしますから、一概には言えないわけですけどね。
で、ある時、自分自身が出されたお菓子を遠慮していて気が付いたわけです。
ああ、どこかで受け取ることを拒んでいる自分がいるんだ、とね。
この目線で皆さんを見てみると、親密感が薄かったり、罪悪感が強かったりすると、人はより強く遠慮するんだ、とね。
私自身、ただ受講生さんやクライアントさんに喜んでいただきたくて、お菓子を出していたわけですが、こんなところにも人の心理パターンが出るものなんだなぁ、と、しみじみ感じました。
もともと、日本は「気遣い」の文化ですから、ある程度の遠慮は、日本人みんながすることでもあります。
ただ、行き過ぎた遠慮は、相手を傷つけてしまうかもしれないわけです。
逆に全く遠慮がない、というのも、かなりな問題ですからね。
遠慮がないというのは、してもらって当たり前、とどこかで感じているわけで、しないと「なぜしないんだ」と怒りを感じるわけです。
実は、遠慮しすぎるのも、遠慮を全くしないのも、原因は同じです。
どちらも「感謝」の気持ちがないんですよね。
もちろん
過ぎたるは及ばざるがごとし
ということわざがあるように、やりすぎることには問題があるわけですよ。
遠慮することも、遠慮しないことも、どちらもほどほどがいいわけです。
そのほどほどが人によって違うから、まあ人間関係で摩擦が起きやすいともいえるわけですけどね。
では、このほどほどを知る方法があるのでしょうか?
実はあります。
一つは、相手との親密感の構築。
もう一つは、感謝の気持ち、です。
言葉で書けば簡単なのですが、じゃあ実際に行動してみましょう、といっても、おいそれとできることではありませんよね。
あとはたくさんの人と接して、場数を踏むしかないわけですよね。
遠慮するのもほどほどに
遠慮しないのもほどほどに
大切なことは相手に対する「感謝」のきもち。
これだけで充分ですからね。