気遣いと心配り
気遣いと心配りという言葉がありますが、皆さんはどちらの言葉を使っていますか?
そのまえに、そもそもこの言葉は、どう違うのでしょうね。
ネットで調べてみると
気遣い
① 気をつかうこと。心づかい。配慮。
② 好ましくないことが起こるのではないかという心配。おそれ。懸念。多く,下に打ち消しの語を伴う。
心配り
気をつかうこと。気づかい。心づかい。配慮。
意味だけを見ると、同じなんですよね。
でも、やっぱこの二つ、何かが違うんです。
私的な考え方ですと、気遣いは「気を使う」わけです。
使うということは、消耗するわけですよ。
心配りは「こころを配る」わけです。
分け与えるわけですね。
皆さんは、消耗するのと、配るのと、どちらがいいでしょう?
私は断然、配るほうがいいです(笑)
まあ好みは人それぞれですので、どちらを選んでもいいわけですが、たとえ同じ意味であっても、とらえ方って違うんですよね。
例えば、気遣いをされたら、申し訳ないって思いやすい気がしませんか?
一方で、配慮してくれたら、ありがとうって気持ちになる感じがしませんか?
してくれることは多分同じなんですよね。
でも、気遣いと心配りとでは、受け取り方が変わったりするわけです。
ただの言葉なんですけどね。
言葉の持つ力、よく言霊なんて言い方をしますが、こういうところにも、言霊が宿っているようにも感じるわけです。
似たような言葉に、遠慮と配慮とかあったりしますよね。
こういった些細な言葉の使い方、私はかなり注意しています。
まあ言葉を使う仕事をしていますから、普段から注意をしているわけですが、意識してみると、遠慮しているのか、配慮してくれているのかが、何となく感じたりしますからね。
私の友人で、配慮の達人がいます。
遠慮の達人でもありますが(笑)
すごく細かいところにまで心配りができるんですよ。
あ、そういうところまで見てるんだ、と、よく感心しています。
遠慮の達人よりも、配慮の達人になる。
そうなれたら、人生かなり変わるかもしれませんね。
もちろん、楽しさの達人でも、幸せの達人でも、なっていただいて構いませんよ。
私みたいに、苦行の達人にだけはならないようにね(笑)