「孤独」と「孤独感」について
「孤独」と「孤独感」って、同じなのだろうか、それともちがうのか。
ふと、そんな疑問をもったんです。
で、今回のお題は、「孤独」と「孤独感」についてのお話しになります。
孤独感というのは、今までにもお話しした事がありますが、
「誰ともつながれていない感覚」
が、孤独感になっていきます。
ですので、実際に繋がってくれる人が周りにいたとしても、当の本人が「つながれていない」と感じてしまうと、そこに孤独感が生まれてくるわけです。
一方、孤独というのは、どんなものなのでしょう。
例えば、辞書で調べてみるとウィキペディアでは
孤独:他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す
孤独感:自分が独りであると感じる心理
① 自己疎外・自己拒否から来る孤独
② 実存的孤独
がある。
と書いてあります。
先ほど私が説明した孤独感は①に該当するわけですね。
人というのは、誰もが皆孤独を感じているのかもしれません。
だから、誰かに関わろうとするし、誰かを好きになったり、誰かと一緒にいたいと思ったりするのかもしれません。
孤独になりたい、と言うのは、それらの人との関わりに疲れてしまったりすると、孤独を求めてしまうわけですから、逆に孤独でないからこそ、孤独に良さを感じるのかもしれませんね。
他人から干渉されたり、束縛されるのも、実存的には孤独ではないわけです。
ただそこが息苦しかったり、自分の思いどおりにならなかったり、迫害されたりすると、そういった関わりから離れたい、解放されたいと思うのも当然の事でしょう。
孤独というのは、別の味方をすると、他人からの干渉がないこと、でもあります。
それはある意味自由ともいえるわけですよね。
ところが、自由であればあるほど、そこには選択と責任がでてくるわけです。
全て自分で決まられる。
全て自分の責任である。
この二つがあることが、本当の自由なのかもしれないわけです。
前にも心理学講座で書きましたが、自由と孤独って、かなり密接な関係があるわけですね。
責任と選択から逃れて、自由だけが欲しい。
これは自由ではないわけですが、この状態を自由と勘違いしている人もいるのでしょうね。
例えば、一人暮らしというのは、ある意味自由な環境ですよね。
誰にも干渉される事なく、自分のライフスタイルで生きていけるわけですから。
でも、炊事、洗濯、掃除、家賃や税金の支払い、料理の献立など、様々な事を、自分で決めて、自分で行動しなければいけないわけです。
自由がない状態で、責任や選択だけを押し付けられたら、誰だってしんどくなるし、やめたくなります。
熟年離婚って、こういうときに起きるのかもしれませんね。
孤独である事
その事自体に善し悪しはなく、その状態をどう感じるかに、問題があるのかもしれませんね。
孤独を感じたら、孤独だと思ったら、まず今の自分の周りの人たちとのつながりを確認する必要があるのでしょうね。
同時に、自分自身とつながれていないときも、孤独な感覚になりますからね。
自分自身が自分を孤独にしていないか。
というのも、見落としてはいけませんよ。
また、孤独になりたい、と感じたら。
それは、周りの人間関係や干渉から逃れたい自分がいるかもしれませんね。