諦めるという選択肢
以前書いていたコラムにコメントをいただきました。
諦め方もわからないけど、諦める時って、奇跡は起こらないと信じた時なのかなと思います
コメントありがとうございます。
私はこのコメントに対して、こう返しました。
もし諦める時があるとしたら、私は自分の未来の別の選択肢を選んだ時と感じます。
待つ、というのも選択肢の一つですから、当然あきらめるというのも、選択肢にはあるわけです。
今回は、あきらめ方、というより、引き際のお話になります。
たとえば、どうしてもほしい服があったとします。
その服がほしくてたまらない。
いざ買おうと思ったら、もう誰かに買われてしまって、お店になかった。
こういう時って、悔しいですよね。
なかなか諦めが付かないものです。
まあこういうパターンで一番多いのが恋愛。
彼氏、彼女のことがなかなかあきらめられない。
で、長々と引きずってしまう。
こういう状態になってしまうと、引き際がわからなくなって、なかなか次に踏み出すのに時間がかかってしまいます。
まあ多少の時間はかかるわけですが、たとえばここで、ちょっと質問。
ほしくてたまらなかった服以上のいい服が見つかって、手に入ったら、前の服をまだほしいと思いますでしょうか?
失恋して、その後素敵な恋人ができたら、前の彼氏、彼女を引きずるでしょうか?
まあ引きずりませんよね。
今時分が選んでいる選択、たとえば「待つ」という選択も、自分の意志で選んでいるわけです。
今自分が選んでいる選択以上に、よい選択肢があれば、それを選んでもいいわけですよね。
もちろん、それでも今選んでいる選択を選び続けてもかまわない。
ただ、ポイントがひとつだけ。
後悔しないこと、なんですよ。
あきらめた後で、あの時ああすれば~、みたいな後悔が出ないくらい、できることのすべてをしておくことなんです。
そうすれば、やりつくしたときに、諦めが付くわけです。
だからといって、物理的に何か行動を起こせ、というのではないですよ。
もちろんそういう場合もありますが、基本は相手に迷惑をかけるようなことはしても意味がない、ということです。
私がいつも言っている愛の基本三原則、皆さんは覚えていますか?
感謝と赦しと手放し
でしたよね。
この3つを、実践するだけなんです。
そうすれば、自分が選ぶべき選択が、きちんと見えてきます。
ま、このあたりはそこらへんにいる優秀なカウンセラーに聞いてください。
優秀なカウンセラーなら、きちんと応えてくれますから。
選ぶのは自分。
選び続けるのも自分。
すべてが、自分なんですよね。
この、自信を持つことではなくて、自分を信頼できることそのものが、本当の自立なのかもしれませんね。