たとえ無意味であっても
何もしてあげられない。
自分は何もできない。
自分にはなんの力もない。
そう感じてしまうことって、あるわけです。
たとえば、誰かが苦しんでいるとき、その苦しみをなくしてあげようと思っても、そんなことはできないと知るわけです。
すると、上記のような「できない自分」を痛感します。
これを、無価値感とか、無意味感、無力感というわけです。
さて、突然このようなお話から始まったわけですが、実はこのお話、大きな落とし穴があります。
二つもね。
一つは、自分が何とかする、ということに固執していること。
もう一つは、自分のできていることに価値を見ていないこと。
一つ目は、苦しみが緩和されるのであれば、基本誰がやったっていいわけですよ。
結果苦しんでいる人が、苦しみから解放されればいいわけですから。
でも、どこかで「自分が」その苦しみを開放してあげたかったという思いがある場合、それができない分だけ、自分を責めがちになります。
これ、自分を責めている結果なんですよね。
もう一つですが、そんな状況下でも、自分自身がやっていること、できることってあるわけです。
それは信じて待つことだったり、話を聞いてあげることだったり、手を握って励ますことであったり、ただそばにいてあげることであったり、祈ることであったり。
自分がやりたいことに目を向けてしまうと、自分ができることをおろそかにしてしまう。
そして、自分がしたことに対して、価値を感じなくなってしまう。
さみしい時にそばにいてくれた。
さみしがっている人からすれば、そばにいてくれたことで、すごくこころが軽くなったかもしれません。
ですが、そばにいた人は、ただそばにいることしかできなかった、と自分を責めてしまうかもしれませんね。
価値あるものを、価値のないものに感じてしまう。
これは、結果として、自己嫌悪を増やし、自己価値を下げる行為でしかありません。
それが、たとえ無価値であっても、
たとえ無意味であっても
自分を無力だと感じたとしても
できることをした自分は、認めてあげてくださいね。