2020.12.24 選択は自分のもの
まだ東京に住んでいた頃のお話です。
いつものようにカフェでコラムを書いていた時のことです。
お隣にカップルが座っていて、まあ取り留めのない話をしているわけですよ。
基本私が行くカフェって、誰もしゃべらないから、しゃべっている人の話がよく聞こえるんですよね。
そんなときにコラムを書いている私に出くわしたら、当然ネタにします(笑)
どんな話をしていたかというと、タイや台湾に旅行に行きたい、という話でした。
どうやら女性が旅行好きのようで、そんな話になっていたのですが、彼氏のほうが「タイだったらタイ料理の店に行けばいいじゃん」とかいって、まあボケるわけですよ。
ロマンスの中にいるカップルであれば、笑い話で済む話ですが、マンネリ化しているカップルであれば、これは相手に不満を持たせる言葉になるなぁ、と、なんとなく聞いていたわけです。
まあ、彼女は彼氏と一緒に旅行に行きたいのでしょうし、彼氏はあまり旅行に行きたがらない、という構図が読み取れるわけです。
で、女性が彼氏に言いました。
「私はいくよ。」
この一言は、なかなかいい一言だ、と私はこのコラムを書きながら思いました(笑)
例えば、ふつう彼氏とどこかに行きたいと思うと、「一緒に行こうよ」と、選択肢を彼氏に投げかけます。
しかし、彼女は「自分はいく」という決定を彼に告げているわけです。
すると、彼は、「自分もついていく」選択を迫られてしまうわけです。
つまり、誰かに自分の選択肢をゆだねるのではなく、自分の選択は自分でして、相手の選択は相手にゆだねているわけですね。
彼女にするなら、こういう女性を持ったほうがいいなぁ、と、しみじみ思いましたよ。
大切なのは、自分を成長させるために、どのような選択を選ぶか、ということなのでしょうね。
それは時に、つらい選択を選ぶことになるかもしれません。
しかし、結果として、その選択が自分を成長させることになれば、その選択をしてよかった、ということになります。
交通事故にあって3か月入院することになった。
これは不幸な事故ですよね。
でも、入院中に看護士さんと恋仲になり、結婚することになった、なんてことがあったら、結果として入院してよかった、ということになりますよね。
逆に、今はよくても、未来につらいことが待っているのであれば、それはさらなる選択をする必要があるかもしれませんね。
その選択がよかったかどうか。
それは、未来になってみないとわからないことですからね。
すぐに結果を求めずに、長いスパンで結果を観察していくことが大切なのかもしれませんね。