教えるという心理
九州でレンタカーを運転している時、ラジオから流れてきた内容です。
とある有名なスポーツ選手が、ファンに「自分もあなたのようになりたいから、どうやったらなれるか教えてください」ときいたそうです。
スポーツ選手は「毎日の努力の積み重ね。それに、教えることはできない」と言っていました。
教えられない理由は、
教えるとは、自分が長い年月、学び、経験し、培ってきたものを人に伝えることであり、それは自分の努力の結晶でもある。
教わるということは、相手の努力と時間を自分のために費やしてくれること。
だから教えることはできない。
とのことでした。
私なんかは、自分が長い年月学び培ってきたものをホイホイと教えるたちですが(笑)、このスポーツ選手の言っていることはもっともだと思います。
教えて欲しいという人って、教える人が努力してきたプロセスをショートカットしたいわけです。
悪い言い方をすれば、楽して教える人と同じ位置に立ちたいわけですよ。
教える人が努力した結果得たものに対して、教わるために対価を支払うのは、私は当然だと思いますからね。
私がこうして講座やコラムを書いているのは、今までいろんな人たちに無償でしてもらったことに対するお礼の意味もありますし、将来的にここから収益が得られないかどうか、やっぱり考えてますからねぇ。
こうしてコラムや講座を書いていけるのも、生活基盤がしっかりしているからできることですのでねぇ。
続けるためには、それなりのお金は必要になってくるわけです。
必要以上のお金はいりませんけどね(笑)
タダだから、というのは、タダの分だけ、誰かが支払っている可能性があったり、本人が負担している可能性もありますのでね。
タダほど高いものはない
これって、結果としてタダの分だけ自分に跳ね返ってくる、ということなのでしょうねぇ。