どうせ私なんて という人は・・・
あなたは、自己否定感の強い方ですか?弱い方ですか?
高塚先生のお話の中に、「自己否定感の強い人ほど、欲求が強い」というのがありました。
私の自己解釈ですので、高塚先生の意図するところとは違う部分があるかもしれませんが、ご容赦いただきたいと思います。
「どうせ私なんて」
ということをいう人がいますが、この言葉を友人がいえば、皆さんはどう返します?
「そんなことないよ」
たいがいはこう返すでしょうね。
実はこれ、「どうせ」という言葉を否定してほしいわけです。
大体この言葉を言った後に「でも、だって」が続くわけですが、これは心理学的には「もっと言って」という欲求の現れなんですよね。
自己否定感の強い人は、自己肯定感へのこだわりが強いわけです。
ではなぜそうなってしまうのか。
自己否定感の強い人は、矛盾する心的世界を内包しています。
社会に適合しようとする自分、嫌われないようにとか、いいこにしないととか、周りにばかり気を使う、「社会的規範」を重視しているわけです。
一方で、自分に対する欲求は満たされません。
つまり、外ばかり気にして、内側にある「自分の気持ち」を、結果として無視する形になるわけです。
そうすると、無視された内側は当然面白くないわけです。
これだけやったんだから、これくらいはもらってもいいじゃないか!
みたいな感じですね。
自分を中心に物事を考えていく事を「個人的規範」と言いますが、この二つがこころの中でせめぎあうわけですよ。
で、この「社会的規範」と「個人的規範」の折り合いがつかない人、バランスが悪い人とも言えますが、そういう人が、折り合いをつけるために自己否定感を強くしていくのではないだろうか、と私は感じたわけです。
うまく折り合いがつけられないから、社会と分離する(ひきこもり含む)
うまく折り合いがつけられない自分は、社会になじめない不適合者である。
こんな自分は生きていても仕方がない。
どうせ誰もわかってはくれない。
ここまで来ると、周りの人にすごくわかりにくいメッセージを発信します。
そのメッセージを読み取ってもらえなかったら、最終的に自死を選ぶ事もあるわけです。
もちろんこの他にもいろいろな理由がありますが、それは追々お話しするとして、私の今までのカウンセリングの経験として、自己否定感の強い方とのカウンセリングにおいて、やはり「欲求をいかに満たすか」というのは課題になります。
のべつまくなしに欲求を満たしても意味はないんですよね。
私はいつも、クライアントさんの心の成長に必要な欲求であれば、どこまでもお付き合いすると決めています。
そうでない場合は、欲求を相手にしません。
この辺が「話を聞かないカウンセラー」と言われるゆえんなのでしょうね(笑)
先日、10年以上のお付き合いになるクライアントさんと話をしていて、なぜ私を選んだのかというお話しになりました。
話を聞いていたら、私だけが他のカウンセラーと全く違う未来を視ていて、それこそクライアントさんが想像できない提案をしてきたからだそうです。
今の自分が見ても、よくそんな事をしたもんだと自分でも驚いていますけどね。
やっぱり私は「他のカウンセラーでは手に負えないクライアントさん」に特化したカウンセラーなんだと再認識しました(おいおい)
言い換えれば、私のところにクライアントさんがたくさん来るという事は、他のカウンセラーさんが扱えないクライアントさんが増えている、ということを意味してしまうわけです。
よかったですよ
私がヒマで(泣笑)