「事実」と「真実」
先日、あまりにも暇な時間ができたので、何気なくウィキペディアを見ていたんです。
そしたら、ふとある言葉が目に留まりました。
それは、懐かしのアニメでした。
コラムで何度もお話ししておりますが、私はれっきとしたアニメオタクです。
特に昔のアニメ、今から35年くらい前ですかねぇ、それくらいの時期のアニメはよく見ていました。
最近では、リメイクだったり、ずいぶん時がたってからの続編だったりと、ここ数年で耳にすることも多くなりましたね。
で、今回引っかかったアニメは「ゲッターロボ」です。
私と同世代の男子は、皆さん知っていますよね(笑)
この手のアニメ、もう何十年もリメイクや続編、スピンオフなどが発表されるというのは、それだけ長期にわたって、根強いファンがいることの証拠でもあります。
私の友人には、とにかく「ガンダムファン」が多いですしね。
思い出というのは、いいことも悪いことも、それなりに覚えているものです。
特に心に印象の残ったことはね。
ただ、今回ウィキペディアを読んでいて、意外と記憶違いや裏話なんかもあったりして、記憶って、最終的に自分の都合のいいように書き換えられているんだなぁ、というのを実感しました。
カウンセリングをしていますと、当然ですが、昔の話をするわけですよ。
当然クライアントさんの記憶の中に、問題のヒントが隠れていたりしますからね。
ただ、過去に起こった「事実」や「事象」と、自分が記憶していたり、感じている「真実」は、必ずしも一致しないわけです。
事実や事象は、「現実に起きたこと」ですから、変えることはできないわけです。
子供時代に、いたずらをして花びんを割ってしまったとします。
この「花びんを割った」という事実は、変えようがありませんよね。
でも、花びんが割れた理由や、その時の心情などは、こころは「守る」方向に自動的に働きますから、記憶する真実は、事実とは相違点が生まれてくるわけです。
それに、真実は人の数だけある、と私は感じています。
全員が共通している真実は「事実」や「事象」であって、立場が変われば真実の見え方も変わるのだろうな、と思うわけですよ。
それが当の本人ですらわからないものだけに、いろんなところで弊害や問題が起こるのでしょうね。
こんな話がありました。
あるクライアントさんが、子供時代、母親が入院して、妹と一緒にしばらく祖父母の家に預けられた経験があり、その時の体験が、今の自分に何か問題になっているのではないか、という話でした。
しばらくして、このクライアントさんは、母親に入院について聞いてみたそうです。
そしたら、母親は「あなたが生まれてから入院したことは一度もない、あるのは妹を出産するときだけだ」といったそうです。
ここで、事実と真実に違いがあるのがわかりますよね。
記憶を全面的に疑う必要はありませんが、記憶をうのみにしてもいけない。
きちんとした検証が、必要ということですね。
私たちカウンセラーは、「記憶の検証作業」をしているのかもしれませんね。
もしかしたら、私だけかもしれませんけどね(笑)