2022.2.3 長い1日③
さて、父の葬式についてですが、コロナで亡くなったため、葬式を行えなくなったので、病院から直接火葬場、という流れになっていました。
病院で約2年ぶりに対面した父は、感染予防のためビニール袋に包まれ、そのまま棺に納められました。
さらに、棺には目張りがされ、完全に密封状態となりました。
父との対面時間は約1分。
これがコロナで亡くなった現実ですね。
その後すぐに火葬場に移動し、荼毘に付されたわけですが、その間母と色々話をしておりました。
母曰く、胃瘻をした段階で、長丁場になることを覚悟していたとのこと。
周りで胃瘻をしたことのある家庭の話などでは、6年くらいかかったそうなので、母もそれくらい覚悟していたんだとか。
私も3年くらい覚悟してましたしね。
結果として、院内感染という形で半年ほどで亡くなったので、期間が大幅に短縮され、葬式もできなかったので、通夜とかそういったものも全部なし。
当然香典ももらってないので、香典返しもなし。
悪い言い方かもしれませんが、かなり家族への負担が軽かったわけです。
父が倒れてから、母の血圧が200近くにまで上がり、母の体調も問題になっていたんです。
ですが、葬式が終わった途端、薬を服用しているとはいえ、血圧が140まで下がったので、母もどこかで肩の荷が下りたのかもしれません。
変な言い方ですが、母の身を案じた父が、色々とショートカットしてくれたのかなぁ、なんて感じたりしもしてます。
家に帰ってから、母とずっと父との思い出を語り合っています。
思い出すことは楽しかった思い出ばかり。
特に遺影の写真選びの時は、私の赤ちゃん時代の写真なんか出てきて、それを見た私が「娘に似てるなぁ」なんて思ったりして笑いあったりしてました。
大切な人を亡くして、悲しんだり落ち込んだり、喪失感に苦しんだりしますが、それはそれだけ相手のことを大切に思っていた証拠でもあります。
たくさんの幸せを与えてくれた。
たくさんの楽しい時間を過ごせた。
その「たくさん」が多ければ多いほど、失ったときの悲しみは大きいわけです。
大切なのは、それだけ相手から「愛されていたこと」。
たくさんの愛を与えてくれて、たくさんの幸せを与えてくれた。
だからこそ、悲しくもあり、喪失感もあるわけです。
今の私には、父に感謝しかありません。
一番の理解者でもあり、理想でもありましたからね。
まだ数日実家に留まりますが、母とたくさん父の思い出を語ろうと思っています。
お父さん、ありがとう。
ゆっくり休んでください。