2021.11.15 死生観について考える

昔、コンビニである本と出会いました。
その本は居酒屋の「和民」の社長渡邊美樹さんの「思いをカタチに変えよ!」(PHP研究所:定価1000円)という本で、今から20年くらい前に書かれたものだそうです。
その本の冒頭に、このような問い掛けが書いてありました。

「後1年で死ぬと決まったらどう生きるか」

さて、皆さんなら余命あと1年と言われたら、どうしますか?

自分がやりたかったことを全部やろうとするでしょうか?
自分がいきたかったところにいこうと思うでしょうか?
それとも、やけをおこして荒れた生活をするでしょうか?

どれを選ぶのも、それは自分ですから自由ですよね。

渡邊さんは、本の中でこう書いています。
「人は必ず死ぬ。であれば、死が一年後に来てもいいように「死生観」をしっかりもち、生きるべきではないか」

この「死生観」ですが、言葉で聴くと難しく感じるかもしれませんが、私はいつもこう考えています。

自分が死ぬ3分前に、自分の人生を振り返ってどんな感想を言うだろう?

実はこの話は結婚する前から元妻とよく話をしていました。
そして、二人で「死ぬ3分前に「ああ、楽しかった」といって死ねたら最高だろうねぇ。」とよくいっていました。

このことについて、渡邊さんは「何をしたかを記憶されることが大切」といっています。
これは私も同意見で、自分自身が納得した人生が送れたとき、心から「楽しかった」という気持ちが湧いてくる、と私は考えています。
では逆に、自分が納得した人生が送れなかったとき、どう感じるでしょう?
もちろん私は死んだことはありませんから、そこは想像するしかないのですが、想像したときに「死ぬ3分前に後悔してしまう人生」だけは嫌だなぁ、と感じます。

渡邊さんの話を別の形で要約すると、中学時代や高校時代の友人や家族の顔を思い出したとき、まず最初にどんな顔を思い出すでしょう。
笑っている顔ですか?
怒っている顔ですか?
無表情ですか?
それとも、ぼやけて出てきませんか?

もし、あなたの友人達が、昔のあなたを思い出したとき、どんな顔の自分を思い出して欲しいでしょうか?
私は笑顔であって欲しいと思いますね。

テレビや本などで話題になった「余命一ヶ月の花嫁」の中で、残された友人や恋人が、故人の話をしているときに、「彼女のことを思い出したとき、彼女の笑顔しか浮かんでこないんですよね。」と話していました。
私はこの話を聞いて、これこそが渡邊さんが「何をしたかを記憶されることが大切」といっている本当の意味ではないか、と感じます。

死ぬことへの恐怖より、今を生きることの大切さを、人生の半分を生きた今こそ見つめてみてもいいのではないか、と私は考えています。

さて、ここで皆さんに質問です。
皆さんはまだ、生きていますよね。
もちろん、私を含めて、いつ死ぬかはわかりませんが、皆さんいつか必ず死を迎えるわけです。
この「死ぬまでに残された時間」をどのように使いますか?

ちなみに私は、この質問に対して、次のような答えを出しました。
もし私の残された時間が後40年あったとして、当時のペースでカウンセリングを続けたとしたら、のべ1万人の人とお話しをすることになります。
この4万人を多いと取るか、少ないと取るかは自由ですが、私はこの数字を見て「たった1万人か。」と思いました。
パチンコで1万発なんて、あっという間ですよ(笑)
そう考えたら、本当に一つ一つの出会いが、すごく大切なものに感じられました。

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