2021.1.28 奉仕すること
奉仕する、という言葉があります。
意味を調べますと、
利害を離れて、国家や社会などに尽くすこと(コトバンク)
と書いてあるわけです。
まあ、そういう意味ですよね。
私的な解釈で言いますと
見返りを一切求めずに、ただみんなに与えること
となります。
ま、自分が好きでやっていることですから、見返りなんて期待してないわけですよ。
別に苦にもならないですしね。
ただ、普通なら「そこまでしてくれたら、何か裏があるんじゃないか」とか「何かを返さなければいけないんじゃないか」と思うらしいですね。
別にいいのにねぇ。
ちょうだいって言う人には、してあげませんけどね(笑)
自分が好きでやっていることって、結果自己満足なんですよね。
新年会のときに、皆に飲み物や食べ物を取ってあげたり、空いた皿を片付けたり、ごみを拾ったり、幹事をかってでたりするのも(めったにしませんが)、好きでやっていることなわけです。
まあ、正直なところ、見返りを求めていないわけでもないんですよね。
私にとっての見返りは、みんなの笑顔。
みんなが楽しそうに笑っていてくれることが、私にとっての見返りになるわけです。
だから苦にならない。
そして、それは誰に気付かれなくても構わない。
自分だけが知っていればいいことですからね。
欲がないといえば、確かに欲がないのかもしれません。
でも、自分の欲以上に、得られるものに喜びを感じられるわけですから、まあしゃあないですわ。
でも、これはこれで、ちと問題もあるぞ、と最近感じるところがあるんですよ。
例えば、好きな人ができて、その人の幸せを願うわけです。
本当であれば、自分とパートナーになって、一緒に幸せな人生を歩む、と夢を持つのが普通の考え方だと私は思うわけです。
しかし、私はその人が幸せであれば、私自身がパートナーになる必要はない。
と考えてしまう。
でも、その人が幸せになるための努力は惜しまない。
自分の幸せがすっぽり抜けているんですよねぇ。
これって、どこからこんな考え方が来ているんだろう?
で、その答えもすぐに見つかりました。
森村誠一の小説「純愛物語」に、実はすごく影響を受けているようです。
まさか30年以上前に読んだ本に、こんなに影響されていたとはねぇ。
誰かのために尽くすこと
それは私の本質であり、私自身のあり方なのかもしれません。
ま、そんな自分を気に入っているんだから、これからも続けるのでしょうねぇ。