2020.9.1 心理学講座「コントロール」② 「コントロール」の意味
「コントロール」の意味
コントロールという言葉には、2つの意味があります。
一つは「調節すること」もうひとつは「抑制すること」です。
これを乗り物にたとえると、わかりやすいんですよね。
たとえば車に置き換えてみますと、
「調節する」とは
アクセルを踏んだり弱めたり、ハンドルを操作して車の速度や方向を決めたりすることを表していて、
「抑制する」とは
ブレーキを踏むことと考えればいいわけです。
さて、ここで皆さんに質問ですが
車や自転車に乗るとき、ブレーキをかけたまま動かそうとするでしょうか?
まあ余りそんな人はいませんよね。
しかし、感情を扱う場合、殆どの人が、ブレーキをかけたまま感情を扱おうとするんですよね。
相談などに「私が最近、自分の感情をうまくコントロールできないからです。」と書いてありますが、これは今までブレーキをかけたまま感情を扱ってきた結果、「抑制」というブレーキが壊れそうになっているからではないかと感じます。
これは皆さんの心のどこかに「感情はコントロールするものだ」という大前提があったり、「感情をコントロールすることが大人である」という概念を持っていたりすることが、自然と「感情をコントロールする」=「ブレーキを踏む」という構図になっているわけです。
相談などであるように
「小さい頃から、怒らない性格で、嫌がらせをされても、怒るよりも悲しいという気持ちが出てきて腹を立てるという感情をあまり経験してきませんでした。」
とあると、この段階ではコントロールはできていたわけですよね。
ただし、「抑制」というブレーキを使ってですよね。
さて、さらに皆さんに質問です。
サイドブレーキをかけたまま車を走らせたら、一体どうなるでしょう?
はじめのうちはそれでも車は動きますが、いざ本当にブレーキが必要なときに、
ブレーキの効きが悪くなって、結果事故を起こす可能性が高くなってしまうわけですよね。
たとえば、昔悲しかったという感情があることそのものは間違っているわけではありませんが、
余りにも悲しみが強くなりすぎると、
その悲しさから自分を守るために「自己防衛」という機能が自動的に働くわけです。
この自己防衛機能が、悲しいとか、つらい、痛いなどというネガティブな感情をコントロールしようとするわけです。
ところが、感情というものはそれほど器用な存在ではないので、
どれか一つをコントロールしようとすると、「うれしい」や「楽しい」といった
ポジティブな感情も含めて、すべての感情をコントロール=抑圧してしまうわけです。
そして、このときに感情の抑制に使う感情が「怒り」の感情なんです。
つまり、感情は感情によってコントロールしているということになりますね。
ですので、感情がコントロールできないとうのは、
感情がコントロールできなくなってしまうくらい、
感情そのものがあふれ出しているということになるわけです。
つまり、コントロールしすぎてコントロール不能になった、という感じですかね。
それを人にぶつければけんかや暴力になりますし、物にぶつければ破壊行動になります。
そして、自分にぶつければ「引きこもり」や「自傷行為」にもなりえるわけです。
だとしたら、実際にはどうすればいいのでしょうか?
もう一度車でたとえますと、普通に運転しているときに、ブレーキは余り使いませんよね。
安全のためとか、車を止めるためにはブレーキを使いますよね。
つまり、普段は感情をコントロールしなくていい状態が、人間にとっての「自然」な状態といえるでしょう。
そうすれば、「必要なとき」にちゃんとブレーキが機能するわけです。
普段は感情をコントロールしなくていい状態、
いわゆる「自然体」が、感情をコントロールしやすくするための「鍵」なんですよね。
自分にとって自然体とはどのような状態を表すのか。
自然体だった頃の自分はどんな自分だったのか。
なぜ自然体でいることができなくなってしまったのか。
これらのことを考えつつ、上手に感情を「運転」していってください。
誰かや何かを傷つけるやり方ではなく、上手に「発散」することで自然体に近づいていくこともできます。
本当の意味での「コントロール」を意識してみましょう。