2020.8.9 心理学講座 怒りとけんかのコミュニケーション⑥
第6章「怒りの貯金箱」について
怒りをためやすい傾向にある人達の多くは、言いたいことを言いたくても言えない人たちなんですよね。
ではなぜそういう状態になってしまうかというと、みなさんどこかで自分の本音を隠そうとする傾向があるからです。
例えば他人に迷惑をかけたくなかったり、本当はここで何かを伝えたかったんだけど我慢してしまったとか、どうせわかってくれないとあきらめたりとか、自分の感情に気がつかなかったりとか、それこそいろいろあります。
結局、その瞬間瞬間ではわからないまま、自分の本音を見失ったままに時を経てしまうというケースがよくあります。
そうなってしまうと、怒っている事を全く意識しなくなってしまいます。
それが次第に心に溜まっていき、だんだんだんだん自分の感情が何なのかわからなくなってくるんですよね。
ある意味、溜まっている状態に慣れてしまうわけです。
そしてそれが気がつかない間に体や心に負担をかけていき、結果として身動きが取れなくなったり、無気力になったりしてしまうわけです。
第七章「けんかが始まる瞬間」について
まずちょっと想像してみてください。
目の前にコップが置いてあります。
そのコップに、半分くらいミルクが入っています。
では、そのミルクが入ったコップを手にとって、持ち歩いてみてください。
特に難しくはないですよね。
では、9分目までミルクが満たされていたらどうでしょう?
先ほどより慎重に運ぶことになりますが、それでも運べないことはないですよね。
では、表面張力で今にもこぼれんばかりのミルクが入ったコップなら、簡単に持ち運ぶことができるでしょうか?
ほとんどの方が「無理だ」と思いますよね。
私だって無理です。
実は、この表面張力であふれんばかりの状態は、怒りが表面化する直前の状態と同じなんですよね。
でも、この状態でもほとんどの人が気づかないんですよ。
この状態で、少しでも、それこそ一滴でも怒りを感じようものなら、どばっとあふれてしまうわけです。
例えば、たかが靴下を脱ぎ散らかしている状態を見るだけで、めちゃくちゃ羅が立ったりするわけです。そして、思わず怒鳴ってしまう。。
これが表向きのけんかのスタートです。
つまり、けんかが始まった段階で怒りがMAX状態になっているわけです。
自動車レースなど、スタートする直前にエンジンを吹かしまくっている状態から、「けんか」というレースがスタートする感じでしょうか。
そうすると、怒りを溜め込んでいくというのは、ウォーミングアップやアイドリングにあたるのかもしれません。
第八章「怒りのコントロール」について
前回、けんかが始まった段階で怒りがMAX状態になっているというお話をしました。
それでも多くの人はコントロールしようとがんばってしまいます。
コップのミルクに例えるならば、それでもこぼれないように何とか対策をうとうとするわけです。
それこそ「コップを持っている私に近づくんじゃないわよ!」といってしまうかもしれません。
皆さんの「コントロール」とは、このような状態を言うのではないかと私は感じています。
では、もっと楽なコントロールがあったとしたら、いかがでしょう?
実はあります。
なみなみと入ったコップのミルクをこぼれないようにするより、コップの中のミルクを減らしてしまえば、楽だと思いませんか?
本来のコントロールというのは、コップになみなみと注がれたミルクをこぼさないようにする事ではなくて、コップの中のミルクをこぼれないように減らしながら調節していく事なんです。
という事は、感情は溜め込まないようにすることが、何より重要といえそうです。
つまり、絶えずコップの中のミルクが半分以下の状態であれば、普段の状態でコントロールは必不要という事です。
コップの中のミルクがどんどんどんどん増えて「ああ危ないぞ」というとき、初めてコントロールを始めたらいいわけですから、負担は相当軽くなりますよね。
ここで、このミルクが怒り、そしてコップが「我慢可能な範囲」と考えていただきたいと思います。
人それぞれ、コップの大きさは違います。
お猪口くらいの大きさしかない人もいれば、25メートルプールくらいの大きさの人までいるかもしれないわけです。
そこで、自分のコップの大きさがどれくらいなのか、これを知っておくことが、すごく重要になります。
よく「自分の器を知る」とか「足るを知る」という表現がありますが、自分自身について正しく理解しえtおくというのは、とても大切なことなんですよね。
そして、自分の器をしるために大事なことは、自分がどのようにして怒りを溜めこんでいくかを知ることなんです。
これを自覚していく事が、自分の器をしるという事なのかもしれません。
何に対して怒りを覚えるのか、それは人それぞれで、みんな同じというわけではありません。
自分にとっては何てことない言葉であっても、人によってはその言葉によって傷つき、怒りを覚えたりすることはよくあることです。
だからこそ、自分がどんな言葉で、どのようなことをされたときに傷つき、怒りを覚えるかを知っておくことが、とても大切になってきます。
このことを知っておくと、あとあととても得をすることがあるんですよね。
えっ、どんなことかって?
それは、怒りのコントロールと関係があるんです。
コントロールには、大きく分けて二つの意味があると私は考えています。
ひとつは「抑制、抑圧するためのコントロール」です。
めいっぱい入ったコップのミルクをこぼれないようにするためのコントロール。
例えば、誰にも触らせないように制限をかけたりしますよね。
そしてこの状態が続くため、緊張状態が続き消耗していくわけです。
もうひとつは「使いこなすためのコントロール」です。
上手にミルクの量を調節するという意味のコントロール。
量が少なければ持ち運ぶことだって人が触ることだってできるようになるわけです。
多くの人の場合、怒りのコントロールを前者の意味と捕らえている人が多いのではないかと私は感じます。
しかし、それは車が暴走しないように、絶えずサイドブレーキを引いたまま走ってしまうことと同じようなもかもしれません。
結果として車はスピードを制限されていますが、ブレーキは摩耗してだんだん壊れてきてしまい、本当にブレーキが必要なときにちゃんと効かなくなったりしてしまうわけです。
そこで先ほどの「自分の器をしる」ことが生きてくるんですよ。
それは車の特徴であったり、自分の運転技術であったり、できる限り「知っておくこと」で、コントロールの意味が「抑制、抑圧」から「使いこなす」ほうに変わってくるんですよね。
ただ、過信はしてはいけませんよ。
過信は「知っている」ではなくて、「知っているつもりになる」ことですからね。