2020.8.1 心理学講座 怒りとけんかのコミュニケーション1
第1章「怒りの原因」について
人は誰でも怒りという感情を持っています。
その怒りの感情が抑えられなくなったときに、それを誰かにぶつけたりします。
ぶつけられた誰かが反撃に出れば、これで「けんか」のできあがりですよね。
たとえば、お母さんがお父さんや子供に向かって「ちょっと、脱いだ靴下は洗濯籠に入れてっていつもっているでしょ!」などという会話って、皆さん聞いたことがありますよね。
この状態では、お母さんはお父さんや子供に対して「怒って」いるわけです。
では、靴下を洗濯籠に入れさえすれば、お母さんの怒りは納まるのでしょうか?
結論としては、靴下の件に関しては怒らなくなるでしょう。
しかし、よく考えてみてください。
お母さんが怒っているのは、靴下を脱ぎ散らかしているからなのでしょうか、それともいつも言っていることを聞いてくれない、大変な私に協力してくれないからでしょうか?
もしかしたら、靴下というのはきっかけでしかなくて、本当は「話を聞いてくれない」「理解してくれない」「協力してくれない」「助けてくれない」などの「理由」があるのかもしれませんね。
このように「怒っている理由」があるにもかかわらず「きっかけ」に対して相手に怒りをぶつけてしまうと、さてさてコミュニケーションはどうなるのでしょう?
これは私の考えなのですが、本当に伝えたい「理由」が伝わっていませんから、いくら家族や恋人が言うとおりにしてくれていたとしても、当の本人の怒りは解消されないのではないでしょうか?
なぜなら、怒りは「わかってほしい」時に「わかってもらえない」ことから生じるケースが多いからです。
つまり、いくら靴下のことで怒りをぶつけたとしても、結果「何をわかってほしいのか」が伝わらないから、根本的に怒りを解消することはできないことになります。
怒られたほうからすれば、本の表紙だけを見て読書感想文を書け、といわれているようなものですから、結果として「きっかけ」に対して対応する以外に方法がなくなってしまい、また同じことを繰り返していくわけです。
コミュニケーションがうまくいかない場合、特に怒りの感情が絡んでいるときは、この怒りの「原因」と「きっかけ」を理解することが大切になります。
それでは、ここでレッスンです。
まず腹が立ったとします。
そして、何に腹が立ったかを確認します。
靴下かもしれないし、かまってくれないからかもしれないし、無神経だからかもしれないし、腹が立つ事が思い浮かばないから腹が立つかもしれないし、そこにはいろいろなきっかけとしての理由があるでしょう。
ここからがポイントで、怒っている相手に対して、本当に伝えたいことがあるとしたらそれは何かを考えてみてください。
それは大変なことを伝えたいのか、寂しいと伝えたいのか、愛されていないと感じているのか、そこには怒りをもってしまった、根本的な「理由」が存在します。
もちろん怒っている最中はこんなことできませんよ。
少し時間を空けて落ち着いてからやってみてください。
ですので、怒りが生じたらすぐに相手にぶつけるのではなく、まず一呼吸置いて考えて、それでもなお腹が立つなら、そこで始めて怒りをぶつけて見るというのも一つの方法です。
原因の理由もわからずに怒りをぶつけるのは、地雷が埋まっている危険地帯をガイドなしに歩き回るくらい、危険なことですからね。
もし、それでも日常を問題なくやっていけている人がいたとしたら、その人はたくさんの周りの人に助けられ、支えられて生きているということになります。
周りの人たちに愛されているということですね。
しかしその周りの人たちの想いを感じ取れずに、感謝を忘れてしまうと、人は初めて「嫌われて」いくのかもしれません。
尼僧の池田智鏡さんの言葉に
かんしゃくの「く」の字を取って ただ「かんしゃ」
という言葉があります。
感謝のあるところに怒りはなく、怒りのあるところに感謝はありません。
心のどこかに、留めておいてくださいね。