2020.7.27 心理学講座 リーダーシップと当たり前(リーダーシップへの道30)
リーダーシップのプロセスの中で、気を付けるポイントがあります。
それは、当の本人にとって「あたりまえ」とかんじている部分が、周りにとってのリーダーシップのシンボルとなる、ということです。
これだけ書いてもわかりにくいと思いますので、もう少し詳しく書きます。
例えば、パソコンいじりが好きで、パソコンを分解したり、修理したりすることを趣味で楽しんでいたとします。
すると、否が応でも、パソコンの知識って、身についてきますよね。
そんな自分のそばで、パソコンが壊れて困った人がいたとします。
たぶん、パソコンを直したり、壊れた原因を特定したり、対応方法などを教えたりすることができるわけです。
その結果、パソコンは無事直ったとします。
自分からすれば、パソコンをいじっていたからこそ、好きだからこそ「あたりまえ」のように知っているわけですから、どうってことないわけです。
しかし、パソコンのことを何も知らない人からすると、それは「あたりまえ」でない、すごいことになるわけです。
Facebookを普段から利用している人は、Facebookに投稿することなどで悩むことはありませんよね。
でも、初めてFacebookをする人からすれば、Facebookを使いこなす人を見た時「すごい人」になるわけですよ。
自分ができないこと、難しいと思っていることを、さも当たり前のようにやってのける。
これだけで、できる人にはリーダーシップを感じてしまうわけです。
ただ、この時のリーダーシップは「あたりまえ」と思っている部分にありますから、リーダーシップをとっている当の本人は、全く自覚がありません。
当たり前のことを褒められても「なんで?」と思うことの方がほとんどですからね。
上記のお話とは全く違う当たり前もあります。
例えば、ものすごい努力をして、技術を習得しました。
その結果、さも当たり前のようにその技術を使いこなせるようになりました。
すると、周りの人からは「さもあたりまえ」にやっているように見えますから、たいしたことをしているようには見えなくなります。
しかし、実際にやってみれば、それがどれだけ努力をしないと「あたりまえ」にならないかわかるわけです。
昔テレビで見たのですが、お寿司屋さんが手でシャリを正確に同じグラム数取り分けるんですよ。
何回やっても全く同じグラム数ですよ。
寿司屋さんが普通に寿司を握っているように見えても、「正確にシャリを取り分ける」という技術は、誰しもができることではないですよね。
寿司屋さんにとって、「正確にシャリを取り分ける」ことは、当たり前の作業なわけです。
言い換えれば、「当たり前になるまで、相当の努力をした」という証拠でもあるわけです。
ですが、見ているだけでは、その努力はみじんも感じません。
自分でも簡単にできるかも、と思わせるくらい、当たり前に見えるわけです。
あたりまえでないことを、当たり前と感じて作業する
あたりまえでないことを、さも当たり前のようにこなしていく。
この「あたりまえ」こそが、リーダーシップの一つの見せ方でもあり、周りがリーダーシップを感じる要因でもあるのでしょうね。
皆さんの中にも「あたりまえ」はたくさんあります。
それが「だれかにとって」あたりまえでなかったとしたら、
そこは皆さんにとってのリーダーシップのステージかもしれませんね。