2020.11.25 自由についてのお話

「自由」にやってみること

先日、クライアントさんと音楽の話になりました。
 
クライアントさんはパーカッションを演奏しているそうで、その中でアドリブで演奏するお話しになったんです。
 
クライアントさん曰く
「私は楽譜にあわせて演奏するよりも、アドリブで自由に演奏する方が好き」
 
この気持ち、よくわかります。
 
私自身、今までいろんな楽器を演奏してきて、今は三線とエイサーを習っているわけですが、これがまあ面白い気付きを与えてくれるわけですよ。
 
沖縄民謡などを聞いておりますと、よく「ヒーヤサッサ」とか「スイッ」とか、間奏などにあいの手のようなものが入ります。
 
で、実際この間の手を入れてみようとしたら、できないんですよねぇ。
 
よっぽどきちんと演奏できて、歌も歌えないと、ちゃんとした合いの手を入れる事ってできないんですよ。
 
で、ここで気がつくわけです。
 
自由に合いの手を入れようとしても、三線や歌の基本がきちんと理解できていないと、合いの手にならないんです。
 
パーカッションのアドリブにしても、自由に演奏しようと思っても、きちんと基礎ができていないと、ただ「音を鳴らしている」だけに過ぎず、音楽にはならないんですよね。
 
つまり、アドリブ(自由に演奏する)には、それだけの技術と練習が必要と言う事になるわけです。
 
ダンスにしたって同じです。
 
ただ身体を動かせ、というのであれば、充分にダンスになるわけですが、ただ突然立たされて
「じゃあ自由に踊ってください」
 
と言われても、どうしていいかわからない、という状態になる事の方が多いかもしれません。
 
そこで、いの一番に踊りだす人もいれば、周りを見て踊り始める人もいます。
 
踊らずに部屋の隅っこに行く人もいるでしょうし、机の下やホワイトボードの裏に隠れる人もいるかもしれません。
 
実は、「自由に」と言われて、どう行動するのか、というのも、その人が持つパターンが出るんですよね。
 
私なんかは、もともと人に合わせるのが苦手ですから、三線を演奏するときは、とにかく周りの三線に合わせる事だけを考えて演奏します。
 
これが、私のパターンでもあるわけです。
 
私自身、人に合わせる事をまず考えてしまう。
 
表現の中にも、自分のパターンが出るものなんですよねぇ。
 
で、10月23日の「感性を開くワークショップVer.2」
 
なんと、踊りの時間があります。
 
あまり広いスペースではありませんので、たいした踊りはできませんが、まあ皆さんでちょっと踊ってみて、表現してみようじゃないか、などと考えております。
 
今までにないいろんな内容を盛り込んでおりますので、存分に楽しむ事ができます。
 
お暇な方は、是非ご参加ください。
 
 
このお話は、次回の心理学講座「自由になるための「不自由」」へ続きます。
 
 

自由になるための「不自由」
 
前回のコラム「「自由」にやってみること」からの続きになります。
 
自由に演奏するためには、自由に演奏できるだけの技術と、演奏するための知識が必要になります。
 
しかし、その技術と知識を得るためには、たくさんの練習と学びが必要なんですよね。
 
練習や学びは、はっきり言って自由ではありません。
 
ひたすら決められた事を繰り返していくだけですからね。
 
打楽器にしても、三線にしても、その他の楽器にしても、必ず「基礎練習」というのがあります。
 
これは、どれだけうまくなっても、上達したければ毎日行います。
 
私は最近さぼっています(笑)
 
全く自由ではない、基本的な反復を毎日繰り返す事で、初めて自分がしたい表現ができるようになっていく。
 
言い換えるならば、自由を手に入れるために、自由を手に入れられたときに、自分が表現したいものを表現できるだけの力を付けておかないと、自由になってもあまり意味がない、と言う事になってしまうかもしれません。
 
自由になるというのは、自己責任において行動する、ことと同じですからね。
 
不自由な状態のときに、いかに自分のスキル(心のスキルも含む)をあげておくか。
 
これは、自由になったときに非常に重要な意味を持つ、ということですね。
 
 
三線で古典音楽を演奏しておりますと、自由に演奏する、といっても、いろんな決まり事があるんですよ。
 
三線の持ち方とか、三線や手やバチの角度とか、指の押さえ方とかね。
 
これは、長い年月、いろんな経験から「この方がいい音が奏でられる」「こうした方がいい演奏ができる」といった「経験の積み重ね」から生まれているわけです。
 
これを「伝統」と表現してもいいでしょうね。
 
今回のテーマである「自由」とは正反対のお話になりますが、はじめは自由だったものが、あることにこだわった結果、ベストの結果が見つかれば、それは自由ではなく、「基本」へと変化していくのかもしれませんね。
 
バイオリンなどは、いい音を奏でるという目的にこだわった結果、あの形になったわけですからね。
 
残念ながら、人の心は、ベストの結果というのがありません。
 
正確に言うと、人によって、みなベストが違うんですよね。
 
ですので、Aさんにはこのやり方がベストだったけど、Bさんにとっては、このやり方がベストだとは限らない。
 
なんて事がよくあるわけです。
 
その意味で、カウンセリングは自由であり、またクライアントさんに合わせた「オーダーメイド」になるわけです。
 
子育てに手本なし
 
と言われているのと同じですね。
 
私たちカウンセラーは、クライアントさんの「こころ」にあった服をオーダーメイドで作る職人なのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です