観念について1

どうせ私なんて

という言葉について、以前心理学講座でお話をしました。

で、今回は再びこのお話になります。

どうせ私なんて

という言葉が出てくるとき

まあこの言葉に限らないのですが、実はある感情が心にあるんですよね。

それは「欲求」です。

で、欲求の中でも、「見返りを求める」気持ちがあるときに、この言葉が出やすくなるのではないか、と私は感じるわけですよ。

見返りを求めて行動を起こす。

その結果、求めた分の見返りが返ってこない。

こういうときって、大概相手に対して怒りを持ちます。

と同時に、見返りが返ってこなかったことを、自分自身に対して釈明しなければいけなくなります。

自分に対して「言い訳」が必要になってくるわけです。

自分の心を納得させるためにね。

相手を攻撃するのもその一つなのですが、人によっては「自分がだめな人間だから」とか、自分に見返りが返ってこない理由を見出します。

そうすることで、ただ「自分を納得させる」ためだけに、「どうせ私なんて」というわけです。

と同時に、外に向ける怒りを自分の中にため込んでいきます。

で、人によりけりですが、自分を嫌いになったり、人に対して卑屈になったり、人を拒絶するようになったりしていきます。

人って、得られなかった欲求を抑えるために、あれこれ理由を必要とするわけですよ。

自分を納得させるためにね。

で、自分が納得しさえすれば、それが嘘でも間違いでも、なんでもいいわけです。

そうやって、自分の心を抑えていくわけです。

で、自分を無理やり納得さえた物を、心理学では「観念」とか、「自己概念」とか言います。

簡単に言えば、思い込みです。

で、問題はここからで、大人になっても、この観念に支配され、言動や行動を決めてしまう、端的に言えば思い込みに振り回されてしまう人が、まあ結構いるわけですよ。

で、こういう人の周りにいる人たちって、いろいろ嫌な目にあいやすいわけです。

時には、その観念が伝染してしまって、まるで

朱に交われば赤くなる

ということわざのように、自分自身も観念に支配されてしまう。

なんてこともあるわけですね。

信念があるのはいいことですが、観念があるのは、カウンセラーとしてお勧めできません(笑)

で、このお話は次回も続きます。

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