被害者と加害者
今回はちょっとまじめな話になります
被害者にも問題はある。
という言葉をたまに耳にします。
例でいうと、いじめにあった子に対して、いじめられる側にも問題がある。
みたいな感じですね。
実際カウンセリングをしておりますと、被害者であろうが、加害者であろうが、元々全員問題があるんです。
被害者にも問題がある。
当たり前です。
加害者には、もっと大きな問題がある。
と付け加えておかないとね。
ただ、問題としては、被害者であるのと、被害者ぶるのとでは、全然違ってきますよね。
先日、ネットの記事で、ネットの記事で、メロン農家が除草剤をまかれる被害にあい、メロン6000個余りが全滅した、というのがありました。
メロン農家の方は、なんとか農業を続けていくために努力をしていたわけですが、そこで「やられる側にも問題はある」という書き込みがあったりで、かなり誹謗中傷があったそうです。
客観的に見れば、それだけ恨みを買われるようなことを、もしかしたら関係者の誰かがした可能性はあるかもしれません。
ですが、行為そのものは犯罪ですからね。
ここで「被害者にも問題がある」と言ってしまうと、犯罪を容認することになりますからねぇ。
こういった犯罪を犯すときって、犯人側の心理としては、愉快犯か復讐か、と考えるのが一般的ではあります。
愉快犯の場合は初めから加害者側なわけですが、復讐の場合、元々は被害者側なんですよね。
それを復讐という行為を行うことで、加害者へとシフトしていくわけです。
けれど、本人の気持ちは被害者のままなんですよね。
気持ちは被害者、行動は加害者。
こういったことに限らず、被害者である自分が、加害者の行動をとることって、日常ではよくあることかもしれません
一番多いのが、被害者と加害者のすり替え。
本当は自分が悪いのに、誰かを悪者に仕立て上げることで、立場を入れ替えるわけです。
で、お前のせいでこうなった、お前が悪い、といった感じで、相手を加害者に仕立てていくわけです。
ハラスメントやDVの手法でもあるんですよね。
冒頭の「被害者にも問題はある」という言葉。
私は、これは第三者が無責任に言ってはいけない言葉だと感じています。
匿名だから、自分が誰と特定されないから、好きなことを言っていい、書いていいわけではありませんからね。
この一言で、相手が深く傷ついたら、言った人は加害者側になりますからね。
今の世の中、だれだって加害者にも被害者にも簡単になれてしまう時代です。
表現の自由というのは、好きに表現していいというわけではなく、自分がした表現に責任を持つこと、と私は感じております。
ただ、どれだけ努力しても、どれだけ気を付けても、相手を傷つけてしまうことはありますし、傷つけられることだってあります。
それは仕方がないことです。
そこには、自分と向き合うという課題があると、私は感じます。
メロン農家の方は、こういっていました。
一部の中傷するひとたちよりも、たくさんの応援してくれる人たちが助けてくれました。
見るべき方向性は、応援してくれる、助けてくれる人たちのほうを向くことであって、誹謗中傷する人たちの方向を向くことではなかったわけですね。
ネガティブな感情ではなく、愛や優しさに意識を向けること。
そうすれば、足を引っ張る人たちに負けない自分になれるかもしれませんね。