自分だけのルール・自分だけの禁止②
さて、ルールが何のためにあるのか、という前回の疑問についてです。
これが法律とかであれば、きちんと定義されているわけですし、交通ルールや社会のルールなどは、自分や他人を守ったり、コミュニケーションを円滑にしたりするためにあると私は感じています。
全員が共通認識として持っているルールであれば、当然ルールを破った人の責任になるわけです。
しかし、自分のルールというのは、皆が同じルールを持っているわけではありませんよね。
自分のルールを他人が破っているのを見ると、たいがいが腹が立ちます。
これは、このルールが自分を幸せにしているといえるのでしょうか?
ルールには、自分やみんなを守るためのルールと、自分やみんなが幸せになるルールとあるように感じます。
ルールを守ることは、特段悪いわけではもちろんないわけですが、自分のルールに縛られて、自分が幸せになれないでいる、というのは、さすがにちょっと問題かな、という気がしますね。
ルールを破られて、相手に怒りを感じる、というのは、ルールに縛られている可能性があります。
もちろん、自分がルールを破って、自分を責めるのも同じです。
自分は自分のルールに従い、相手は自分のルールに従わない。
それだけのことなんですよね。
例を挙げますと。
人を嫌いになってはいけない、というルールがあったとします。
当然のごとく、人を嫌いにならないよう、日々努力するわけです。
で、こういった人は、人を嫌わないのと同様に、人から嫌われることも、避けようとします。
結果、この努力を利用されて、都合のいいように毎日こき使われてしまったとしたら、どう感じていくでしょう。
どこかで「嫌ってはいけない」「嫌われてはいけない」という、自分のルールを破らない限り、ルールによって毎日精神的に追い詰められてしまうわけです。
ルール改正が必要なんですよね。
例えば、自分に不利益を与える相手に対しては、このルールは適用しない、とかね。
実際に法律にも、似たようなことが書いてあったりしますよ。
人は皆、自分の心の中に、自分だけの法律を持っています。
その法律が、本当に自分を幸せにするための法律なのか、一度確認してみたほうがいいでしょうね。
もし、心の法律が、自分を幸せにしていないのであれば、法改正をしたほうがいいでしょうね。
こんな時のご相談は、心の法律の専門家、カウンセラーをどうぞご利用くださいませ(笑)