欲求と目的
欲求というのは、誰にでもあります。
私にだってあります(笑)
欲求を満たすこと。
これ自体は、人として何ら問題のない行動と言えるかもしれません。
では、欲求を満たしたとき、人はどうなるのでしょう?
本当に自分が思い描いたような未来が手に入っているのでしょうか?
例えば、お金持ちになりたい、という欲求があったとします。
その欲求を満たすために、手段を選ばずお金をもうけて、お金持ちになりました。
これは、結果として「欲求を満たした」に過ぎないんですよね。
欲求を満たすことが本当の目的なら、なんら問題ないわけです。
しかし、もし本当の目的が欲求と違っていたら、どうなるでしょう?
甲子園で優勝したい
という欲求であれば、欲求と目的が一致していますから、優勝したらすごく嬉しいでしょうね。
でも、本当は幸せになりたいのに、幸せになるためにはお金が必要だ、だからお金がほしい。
となっていたらどうなるでしょう?
お金が手に入っても、幸せかどうかは別の話になりますよね。
カウンセリングなどでは「結婚したい」という話がよくあります。
でも、離婚経験者(笑)からみれば、目的が「結婚すること」なのか「幸せになることなのか」によって、カウンセリングの内容がずいぶん変わってしまうんですよね。
目的からずれている欲求は、ただ「満たす」ことが目的になりますから、満たされれば「当たり前」になるだけなんですよね。
美味しいものが食べたい。
これも欲求のひとつですが、美味しいものをしこたま食べて、お腹一杯になっても、まだ美味しいものが目の前にたくさんある。
それでもほしいですか?
昔のローマ人のように、孔雀の羽で喉をつついて、全部吐き出して、続きを食べますか?
満たされて必要がなくなるのが、目的とずれている欲求です。
目的と一致していれば、少量でも美味しいものを食べれば満足しますからね。
目的とずれている欲求は「当たり前を満たす」ための欲求かもしれませんね。
目的のある欲求と、目的とずれている欲求
前者の欲求は満たす必要がありますし、後者の欲求は満たしてもあまり意味がありません。
自分が持つ欲求が、目的と一致しているかどうか。
ここはよ~く確認しておいてくださいね。