昔こんな事がありました(「死にたい」と思う心理11)

小学校高学年の男の子から、こんな質問をされた事があります。
「僕生きていていいんやろか」

想像してみてください。
小学生にこんな事をいわれたら、なんて答えますか?

基本は「生きていていいに決まっている」というのはわかりますよね。

私は「君がいてくれて本当によかった。そして、君と出会えてよかったと思うよ。」
という内容に近い事をいった気がします。

生きていてはいけない人なんていません。
生きている意味のない人もいません。
皆、生きていていいし、生きている事そのものに、ちゃんと意味も理由も目的もあります。

自分の存在を否定したとき(されたとき)
自己価値が極端に落ちてしまったとき

そんなとき、人は自分の「生」を疑います。

ここまで来てしまったら、いかに周りの人が何かをいおうが、自分自身が「生」を肯定できるようにならなければ、ここから抜け出す事ができないんですよね。
本人が「生」を肯定できるようになるまで、周りの人は支え続けるか、信頼し続けるか、「生きる」価値を伝え続けるかしかできないんですよね。

私が「生」について語るのはおこがましかもしれません。
誰よりも「自分は生きていていいのか」「ここにいていいのか」を考え続けてきた人間ですからね。

でも、生きる意味を見つけることができるのは自分だけですし、「生」の意味付けも自分しかできないことなんですよね。
周りは、その「生きる意味」に補足してあげることしかできないんです。

そして初めて、自分が「生かされている」ことに気が付くことができます。

それでも、ないよりははるかにいいんですよ。
それだけで「死」の選択は小さくなりますからね。

無意味なことなんてないんです。

自分がそこにいる限り
あなたがそこにいてくれる限り

皆ちゃんと意味を持っています。
失敗にも、挫折にも
ちゃんと意味があります。

そのことに気が付くことができれば
「死」を感じていても
「生」を選択し続けることができるかもしれません。

選ぶのは自分
選ぶためのヒントを与えるのが周り

皆さんも、良いヒントを与えていってください。

皆さんにできる事が、誰かを救いますよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です