他人への期待を手放すには その1
このような質問をいただきました。
他人への期待を手放すにはどうしたらいいでしょうか?
期待しなければ怒ったり落ち込んだりがなくなります。
だから手放したいのですがどうしても期待してしまうのです。
何かヒントがありましたらよろしくお願いします。
期待をする、ということは、欲求があるということが挙げられます。
同時に、期待を裏切られることそのものが目的の場合もあります。
手放すのであれば、期待をする目的と、欲求の扱いについて理解が必要かもしれませんね。
まずは、期待についておさらいしておきましょう。
心理学講座「期待の心理学」
を読んでいただければわかりますが、もともと期待は「する」のではなく「される」ことから始まっています。
一般的には、親からかけられた期待に応えようとするわけですが、期待に応えられない自分を実感することで、自分をちっぽけに扱ったりします。
そして、期待された分だけ、誰かに期待してしまったり、ほしいものが得られなかった分だけ、誰かにそれを補ってもらおうと思うわけです。
親が子に期待するのもほぼ同じ原理です。
で、期待を裏切られる(期待通りでない結果が出る)と、落胆してしまうわけです。
そこで、落胆したくないから期待を手放したいと思うのか、自分の本質と向き合って、期待そのものを最終的に手放していくのかでは、プロセスが大幅に違ってきます。
質問にあるように「期待しなければ怒ったり落ち込んだりがなくなります。だから手放したい。」とありますが、これは自分の感情に振り回されている、という状況を現しているのはわかりますよね。
感情に振り回されている、ということは、自分の感情がどのようなものなのかを理解できていない可能性があります。
わからないものは扱いようがありませんからね。
そして、それらの感情の中に「満たされていない欲求」があって、欲求がある限りは期待し続けてしまいます。
じゃあ欲求をなくせばいいのか?
と思う人もいますが、それは一時的な対処法にすぎず、欲求そのものの原因を見つけることが、期待を手放すヒントになるわけです。
ちょっと変な質問です。
これだけ手放したいと思っていても手放せないくらい、期待(とその下の欲求)し続けるためには、どれくらいのエネルギーが必要なのでしょう?
あきらめる、という選択だってあるわけですよね。
手放せない、ということは、あきらめられないわけです。
あきらめないって、けっこうエネルギー使いますよ。
これだけの強いエネルギーを持つ感情。
そう、怒りの感情なんですよね。
怒りの感情というのは、非常に使い勝手のいい感情です。
期待して裏切られて、落ち込んだときに、辛い感情や悲しい感情を隠すのに使えたりするんですよね。
怒りの感情は「二次的感情」と言われていて、元々あった感情を包み隠すように怒りの感情があるわけです。
ナッツをチョコでコーティングしているような感じですね。
この場合、チョコが怒りの部分で、ナッツが本来感じている感情だと思ってください。
期待はその怒りのチョコの上に、さらにココアパウダーでコーティングされているような感じです。
これで三層構造になるわけです。
期待に限らず、感情や感覚は、元々感じていた感情を別の感情でコーティングして、わからなくしてしまう事がよくあるわけです。
そして、当の本人ですら、元々何の感情があったか忘れてしまうんですよね。
それは長い年月の間コーティングを繰り返して、まるでバウムクーヘンのように層になりますので、元々どのような感情が最初にあったのかがわからなくなってしまうわけです。
ヨーロッパでは、ケーキにコインを入れて、ケーキの入ったコインをゲットした人には幸運が訪れる、という風習があるそうです。
でもそれは、ケーキを取り除いていかないとコインは見つけられませんよね。
自分と向き合う、という作業は、まるでケーキの中のコインを探すような、バウムクーヘンを一層一層はがしていくような、そんな作業だと思ってください。
まさかの次回へ続きます。
お楽しみに!