スピリチュアルの定義(スピリチュアルの基本〜2〜)
1-2スピリチュアルの定義
WHOの定義によりますと
WHOの「健康」の定義とは…
WHO(世界保健機関) は、健康に関する、スイスに本部を置く国際機関ですが、これは1948年に、健康の定義を憲章として次のように発表しました。「健康とは、身体的・精神 的・社会的に完全に良好な状態(wellbeing)であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」と。
1999年に、WHOの顧問でオックスフォード大学の教授でもある医師のトワイクロス博士が、これを次のように改正することを提唱しました。「健康とは、身体的・精神的・社会的に、そして霊的に(Spiritual)よい状態である」。
しかし、この提言は、さまざまの宗教をもつ国、あるいは無宗教の国など全加盟国の3分の2以上の賛成がなされなかったので、現在も討議中です。
また、読売新聞の記事からは、
「日野原重明の100歳からの人生」より2011年9月15日
スピリチュアルケアを探る
日本スピリチュアルケア学会という珍しいタイトルのついた学会が、去る9月3日に神戸市で開催されました。私はこの学会の理事長を2007年の学会発足以来務めています。
これは、人間というものは「からだ」(body) と「こころ」(mind)だけでなく、スピリット(spirit=霊的なもの)からなる、と考える理論に立って発足した学会です。これには日本の宗教の各 派(主としてキリスト教=カトリックとプロテスタント=、仏教、神道)などの宗教家だけでなく、一般の信者や、このようなことに興味をもち、研究したいと 思う者が入会を申し込み、審査の上で会員となることが認められ、現在は約400名の会員が登録されています。
このように定義づけられております。
つまり、世界的にもまだ未確定な言葉と言えるかもしれません。
ですので、スピリチュアルの定義に正しいと言う事はありません。
感じるもの、感じる事そのものがスピリチュアルであり、それは全ての感覚を司る「感覚の総称」とでも、ここではお考えいただければと思います。
このように、ここではスピリチュアルは全ての感覚そのものと位置づけますので、当然全ての人が持っているものです。
赤ちゃんなんかはまさに感覚の固まりですよね。
生まれたときには全員が当たり前に感じていた事でもあります。
ただ、成長の過程で思考の使い方を覚え、だんだん感覚に頼らなくなっていき、使わなくなって、心の床下倉庫にしまわれてしまうわけです。
ですので、自分にはスピリチュアルがよくわからないとか、理解できないとなってしまうわけです。
なぜなら、こころの行かした倉庫にしまった事自体を忘れてしまいますからね。
ごくまれに、こころの床下倉庫にしまわなかった人たちがいます。
その人たちは、感覚そのものを使い続けないと生き残れなかったり、使わざるを得なかったり、成長していく上で必要だったりと、その人なりの理由があります。
もちろん、当の本人はそんな事を自覚してはいませんけどね。
例えば、恐怖に対して過敏に反応してしまう事を恐怖症と言いますが、それは生き残るためにその人にはその過敏さが必要だったと言えるかもしれません。
周りの事を気にしすぎる、というのもありますよね。
カウンセリングの現場では、感覚が制御できずに常時過敏状態にあるケースがあります。
病気ではないのですが、アスペルガー傾向のある人などにも、こころの床下倉庫にしまわれずに来てしまった人たちもいます。
これは、病気ではないのですが、一感を失ったら、失った感覚を他の感覚が補完するという昨日が人間にはあるからで、目の見えない人などが、視覚を他の感覚で補いますから、聴覚や触覚が発達するわけです。
これはテレビで見たのですが、日本で行われた目が見えない人の実験というのがありました。
壁に向かって歩くと、健常者は壁にぶつかってしまうのですが、全盲の人は壁の前でピタリと止まるんです。
これは、本来視覚情報でとらえる空間情報を、他の感覚でとらえているからです。
他の感覚を使って、視覚を補い、脳の視覚野が映像を構築することで、壁にぶつからないわけです。
個人の持っているスピリチュアル能力が、もともとあった(使えなくなった)能力を補っていくことで、「生きる」という目的を果たすわけですね。
私の知り合いで全盲の方がいるのですが、その人の特技は、ラジオを聞く事なんです。
ラジオなんて誰でも聞く事ができるじゃないか、と思うかもしれませんが、その人のすごいところは、ラジオを数秒聞いただけで、時間がわかるんですよ。
つまり、ラジオの番組表が既に頭の中にきちんとあって、コマーシャルまで記憶されているわけです。
ラジオって、毎日ほぼ同じ時間にコマーシャルも流れますし、番組オコーナーも、ほとんど同じ時間帯で放送されますからね。
時間を聞くたびにほぼ正確に答えてくれましたから、その度にすごいなぁ、と感嘆していました。
世間で言われているスピリチュアルというのは、バウムクーヘンの一層にすぎません。
本質はもっとめくった先にあると、私は感じています。
それは、人のこころが持つ可能性のようなもので、その部分を生かす事ができれば、それこそアニメではありませんが、みんながニュータイプになるのかもしれませんね(笑)
つまり、スピリチュアルとは「生きるため」「生き残るため」に、その能力を発揮していくことそのものなのかもしれません。