コンプレックスと才能
今回は、才能の話になります。
才能というのは、コンプレックスの中に隠れています。
例えば美しさにコンプレックスがある場合、「美」に関する才能が隠れていたりだとか、「知識」に関するコンプレックスがあれば、「知」に関する才能があったり。
コンプレックスがあるところほど、こだわりますからね。
結果、だれよりも詳しくなるし、そのこだわりが、結果としていろんな副産物を生んでくれるわけです。
私の場合「コミュニケーションと容姿」にコンプレックスがありますから、当然これらが才能へと変わるわけです。
昔から、私の周りには、コミュニケーションの達人と呼んでもいい友人がたくさんいます。
べっぴんさんやハンサムさんばっかりですしね。
しかし、当の私はそれほどコミュニケーションが得意ではありません。
まあ私のコンプレックスを埋めるように皆さんが集まってくれている感じですね。
コンプレックスというのは、自分自身が抱える「人と違う自分」です。
だからすごく気になるし、強く意識してしまうわけです。
でも、逆に強く意識するからこそ、誰も気が付かないことに気が付けるわけです。
コンプレックスは、そのものの大切さを知っている人でないとコンプレックスにならないわけです。
「知識」にコンプレックスがある場合、知識の大切さを誰よりも知っているから、知識がない自分を意識してしまうわけですよね。
でも、知識がある人はそんなこと考えもしないわけですよ。
そこで考え、悩む。
それこそが、才能の入り口になるわけです。
私は人生を通じて、たくさんの人とかかわり、たくさんの人とお別れをしてきました。
その多くは、それこそハートが壊れてしまうような大きな痛みを伴うものから、まるで娘を嫁にやる父親のような痛みであったりとか、だれも救えない絶望であったりとか、それこそたくさんのハートのかけらが飛び散っているわけですよ。
もうサラサラの粉になって、龍角散よりサラサラかもしれません。
でも、それでもへこたれないのが私です。
私の最大の才能は「あきらめの悪さ」ですからね。
まあ「あきらめること」がコンプレックスですからね。
たとえ自分のハートが粉々に砕けても、それでもクライアントの幸せを信じ続ける。
何度も砕けたっていいんですよ。
私のハートは何度でも元通りになります。
元通りにしてくれるのは、いつも周りにいてくれる皆様でしたから。
私は、カウンセリングというお仕事は「救わせてもらえる」仕事だと思っています。
いつもこうして読んでいただいている皆さんに、私はいつも救わせてもらえているんですよね。
私とかかかわってくださったことに、心から感謝いたします。
そういえば、TVチャンピオンのお話が一つ。
あの時一緒に競い合った人に、ナンパ塾の先生がいました。
今から考えれば、あの人もコンプレックスの塊だったんですねぇ。
背が低くて髪の毛が薄い。
男性であれば、これだけで十分絶望できます。
この強烈なコンプレックスから、彼はナンパ塾の先生にまで上り詰めるくらい、努力したんでしょうねぇ。
ナンパ塾と聞くとなんだかなぁ、と思う人は多いと思いますが、実際彼がしていたことはカウンセリングと同じでしたからね。
本当であれば信頼関係を気づくことができた彼のほうに分があったんですよね。
私はモデルさんと信頼関係を気づくことができなかったので、勝てるわけがなかったわけです。
それで勝てたわけですから、これはモデルさんの力なんでしょうね。
もう11年前の話になりますから、覚えている人も少ないでしょうし、今観ることはできませんしね。
一応、ダイジェスト版は、私のホームページで見ることができますので、よかったらご覧くださいませ。
よいうわけで(何が?)お話に出てきましたTVチャンピオン。
これ、テレビチャンピオンのホームページです。
当時の様子が書かれておりますので、良かったらご覧ください。
2006年2月9日分です。
そして、以前別のコラムやメールマガジンに書いていたものが出てきましたので、当時のことを思い出しつつ、これも再度公開してしまおうと思います。
もう11年も前の話ですから、公開するのはこれが最後、くらいの気持ちでおります。
明日より「TVチャンピオン 撮影裏話 Classic」
連載スタートです!