なぜ私は愛されないの? ~恋愛の落とし穴~ その7
さて、いままでいろいろチャレンジしていただいた結果、それでもうまくいかないと思われた方もいるでしょう。
今回は「心の問題」がテーマになります。
たとえば、人助けをする、というのはいいことでしょうか、悪いことでしょうか?
まあほとんどの場合、いいことですよね。
人助けをしたら普通感謝されますからね。
しかし、人助けをするときの感情が「私は誰からも愛されない人間だから、人のために何かをしなくてはいけない」であれば、これはいいことと皆さんは感じるでしょうか?
これは私の考え方なのですが、あるひとつのよい行いであったとしても、その行いの基本的感情がどのようなものかによって、よい行いがよい行いと自分自身が感じられなくなるのではないかと感じております。
基本的感情が愛情や純粋な「助けたい」という気持ちであれば、よい行いとはマッチしていますので、問題になることはないでしょう。
しかし、基本的感情が罪滅ぼしや何か見返りを求めるなど、ネガティブな気持ちであれば、良い行いをしても「やってよかった」とは感じられないかもしれません。
恋愛などで男性に尽くしてしまう女性の話をよく耳にしますが、多くの場合うまくいったという話を聞かないのは、どこかで基本的感情がポジティブではないのかもしれませんね。
このネガティブな基本的感情を分類すると、
ひとつは自己嫌悪
もうひとつはおそれ
あとひとつは怒り
となると思われます。
もしかしたらまだ他にもあるかもしれませんが、全部書くと収拾がつかなくなりますので、とりあえず今回は3つに絞らせていただきますね。
自己嫌悪は言葉のとおり、自分自身に嫌悪感があるということですが、ちょっと想像してみてください。
嫌いな人が目の前にいたとして、この嫌いな人を皆さんは無条件で好きになれるでしょうか?
まあそう簡単にはできませんよね。
実はこれと同じで、自分が嫌いという感情がある分だけ、このままの自分では愛されない、愛されるために何かをして自分に付加価値をつけなければいけないと人は思うわけです。
心理学ではこれを「補償行為」といいます。
恐れに関しては、人は怖いときって、どう行動するでしょう?
答えは、自分を守ろうとするんですよね。
それがよいことであれ悪いことであれ、怖いと感じたときからまったく無自覚に「自分を守ろう」という意識が働きます。
そうすると、意識のベクトルは外を向かずに内向きになってしまいますので、まるで目の前にバリケードを築いたような感じになり、コミュニケーションを遮断してしまうことになるわけです。
怒りについては、まあこれだけでもたくさんありますので、詳しいことは心理学講座「怒りとけんかのコミュニケーション」をご覧いただければと思います。
大切なことは、これらの感情をちゃんと自覚しているかどうか、なんですよね。
自覚できていないときって、これらの感情に振り回されてしまうんですよ。
振り回された結果、自分が思っていなかった結果になってしまったり、かえって相手や自分が不快な思いをしてしまったり、ときには相手に喜ばれても自分はしんどいだけ、つらいだけなんてこともおきかねないわけです。
「相手を知り、自分を知れば百戦危うからず」という故事にあるように、まず自分のこともよく理解しておくことが大切なんですよね。
なぜ私は愛されないの? ~恋愛の落とし穴~ これにて終幕となります。
今まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
※この講座は、2011年09月10日に掲載されたコラムを、加筆修正したものです。