本当の欲求とは

人がもつ欲求は、生きる力でもあります。

良い人間関係

居心地のいい空間

居心地のいい時間

これらが満たされているとき、不満が出てくるでしょうか?

まあ不満が出る人はほとんどいないでしょうね。

今に不満を持っているとき、これらのどれか、もしくはすべてが満たされていない可能性があります。

そして、その不満は欲求となり、また生きる原動力ともなるわけです。

が!

これが悪い方向に向かうと、いじめや暴力など、人に対する「攻撃性」となって表れてきます。

一方では、自傷行為や薬物などの依存、摂食障害、自殺などに表れて来ることもあります。

前者は攻撃性が外を向いていて、後者は内に向いているだけの違いで、どちらも先ほどの3つの条件が満たされていないことが要因の一つとして挙げられます。

なぜこのような形で現れてしまうのか

それは、人はだれでも、自分にとって居心地のいい状態を模索して生きています。

そして、その模索すること自体が、生きていくためのエネルギー源となるわけですが、このエネルギーの流れがうまくいかないと、歪んだ形で置き換えられ、表現されてしまうわけです。

例えば、お金が欲しいというのも、お金によって、居心地のいい状態を手に入れるためですから、実際にはお金が欲しいというよりも、居心地のいい状態がほしい、ということになるわけです。

このことで、気が付きますでしょうか?

言葉でほしいと思っているものと、こころが求めているものが、実は一致していない可能性があるわけです。

例えばアイドルになりたいという人がいます。

アイドルになったら、何が手に入るでしょう?

人気のある自分

ちやほやされる自分

いつも注目される自分

本当に欲しいのは、誰かから注目されたい自分であって、この条件が満たされれば、アイドルでなくてもいいわけですよね。

まあ、欲求ですら、本質とはずれてしまっているわけです。

ですので、今の社会は、大人子供にかかわらず、欲求が歪んだ形になりやすい何かを持っているといえるかもしれません。

満たされること

これは、こころが本当に欲しているものでなければ、何で満たそうとしても満たされた感覚にはならないんですよね。

まるで、コレクターが次から次へと、際限なくコレクションを集めているようなものでしょうか。

皆さんがもっている欲求。

本当に心が求めている欲求は、いったい何なのでしょうね。

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