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当たり前は努力の結晶

先日、友人と話をしていて、ふと気が付いたことがあります。

 

当たり前と感じていることって、その人にとって、当たり前になるまでに、すごくたくさんの努力をしたんだろうなぁ、って。

 

例えば、皆さんは字を書いたり読んだりできるわけですが、なんの練習も勉強もせずに、読み書きができるようになった、わけではありませんよね。

 

上手い下手とか、早い遅いはあったとしても、当たり前にできるようになるまでに、それなりの時間と労力を費やしてきたわけです。

 

それって、当たり前なんだけど、すごいことなんですよね。

 

先日、カフェでこのコラムを書いているときに、友人からメッセージが来まして、今コラム書いてますと返事したら「すごいなぁ」と返ってきたんです。

 

私にとって、毎日コラムを掲載することはもう当たり前になっておりますので、特に何も感じないわけですが、やっぱこうなるまで2年以上かかってますからね。

 

時には、なかなか書く内容が思い浮かばずに、過去の内容をリメイクしたり、ほんとうにどうでもいい話を掲載したりしています(笑)

 

まあ皆さん読んでいればわかりますよね。

 

今に至るまで、私は私なりに努力をしてきたわけですよ。

 

それが、自分が望んだ結果に結びつくかどうかは別にして、ね。

 

結果に結びついていないからといって、努力が無駄なわけでもないし、努力をしていないから結果に結びつかないわけでもない。

 

努力したことは努力したこと、なんですよね。

 

自分自身が、どの努力を認めていないと、当たり前の中に埋没してしまうわけです。

 

当たり前と思っていることがたくさんあればあるほど、自分自身が、自分の努力を評価していないのかもしれません。

 

私は、自分ができて当たり前のことが、人もできて当たり前とは、あまり思っていません。

 

そう思うときもありますが、それはあくまで社会的、モラル的なことに限ってですね。

 

例えばクライアントさんたちは、カウンセリングを受けるまでに、まず自分でどうにかしようと、あれこれできる限りの努力をされている方が多いんです。

 

やれるだけのことをやって、それでもうまくいかなくて、最後の最後でカウンセリングの門をたたく。

 

私にとって、私のカウンセリングを利用してくれる人たちみんなが、努力した結果、ここにいるんだと感じるわけです。

 

それだけでもすごいことですし、感謝でいっぱいなんですよね。

 

当たり前は、決して意味のないことでも、どうでもいいことでもない。

 

それだけ、自分が今まで努力してきた記録が、当たり前の中には刻まれているわけです。

 

さあ皆さん、自分の中にある「当たり前」を見てみてください。

 

そしてそれが、どれだけ自分が努力した結果「当たり前」になったのか、思い出してみてください。

 

その努力を誰より知っているのも、そして、その努力を一番評価していないのも、自分自身に他ならないわけです。

 

ほんのちょっとでも、「当たり前のことができる自分」に「ありがとう、よく頑張ったね」という気持ちを持つことできれば、こころは少し変化します。

 

もしよかったら、ちょこっとやってみてくださいね。

 

 

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