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自由と抑圧①

私は昔、ある人からこんな事を学びました。

 

「自由に厳しくあれ」

 

自由であること。

それは大切な事でもあります。

しかし、自由というのは、自分の好きにしていい、という事ではありません。

例えば、会社で働く、というのは、会社と雇用契約をして働くわけで、その間は拘束されます。

給料には、拘束料も含まれているわけです。

 

ただし、その分だけ、拘束している人は、拘束した人に対して、責任を追わなければいけないわけです。

この責任を放棄、もしくは守らないと、労働法違反になる、という感じですね。

 

これは仕事だけに限らず、自由を奪った側は、自由を奪われた側に対して責任が発生するわけです。

そして、それが不快だったり不満だったり、中には精神的や物理的暴力、責任違反などが生じて、自由を求めるわけです。

 

ただし、自由になる、ということは、他人が持っていた責任を自分で行う事になります。

 

つまり、自由とは、自己の責任において決定し行動する事であって、好きにしていい、というわけではないわけです。

 

では、自己の責任においてしたくない人はどうすればいいんでしょう。

 

今の世の中は「抑圧否定の文化」とも言われています。

それだけ抑圧されてきた事実はあるわけですし、抑圧も過ぎると問題ですからね。

その意味で抑圧を否定するのは私もいい事だと感じます。

 

しかし、抑圧否定の文化を押し付ける、抑圧否定の文化が正しくて、抑圧する事が間違っている、という考え方はいかがなものか、とも感じるわけです。

 

最近のセミナーなどに参加してみると、

 自分のやりたいことをやればいい

 嫌なことは無理してやらなくていい

 自己実現・自己肯定のこだわり

などをよく言われます。

しかし、上記の事を実践すればするほど、自己の責任は大きくなり、その結果として、自己否定感が拡大してしまうんですよね。

 

なぜ拡大するのか?

答えは、抑制の感覚が育てられなくなるわけです。

簡単に言えば、我慢する、忍耐力をつけるといったことができなくなるわけです。

そして、我慢を強いられる環境になると、逃げ出したくなってしまったりするわけです。

それだけではありません。

自分のやりたい事をしたり、嫌な事を無理にやらなかったりすると、結果として誰かが替わりにする事になるわけです。

自由を求めたその分だけ、誰かを抑制してしまうという悪循環が生まれてくるわけです。

 

自由は求めれば求めるだけ、必ず周りの人に対してそれなりの抑圧を与える事になる。

そのことも頭のどこかに持っていないと、自分がされて嫌だった事を、誰かに対してしてしまう事になるんですよね。

 

私は、全ての人間が持っている感情や感覚は、たとえネガティブなものであっても、ある事自体に意味がある、と感じています。

抑制される事も、忍耐力をつけるという意味では、意味があるという事です。

 

でも、心理学講座で何度も言っていますが、なんでも過ぎるはよくないんですよね。

もひとつ問題なのが、抑圧しなくていい人ほど抑圧して、抑圧した方がいい人ほど抑圧しない。

 

これは次回お話しいたします。

 

 

 

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