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えすえむ心理学 ~自立と依存の関係~

えすえむ心理学 ~自立と依存の関係~

(カウンセリングサービスHPより転載)

 

さて、SMと一言にいっても、そこにはさまざまな心理が存在しています。
それらすべてをお話しするとなると、本1冊では収まらない可能性がありますので、今回はその中の一つか二つ、簡単なさわりの部分をお話しようと思います。

皆さんにはちょっと想像していただきたいと思います。
SとM、どちらが自立でどちらが依存でしょう?

普通考えるならSが自立でMが依存でしょう。
しかしこのような質問をするのだから、きっとSが依存でMが自立かもしれない、そう考える人もいるでしょう。

実はどちらも正解です。

現実的にいえば、形としてSが主導権をとってMの人に対していろんなことをするわけですから、Sが自立でMが依存という形になります。


Sが能動的で、Mが受動的、ということですね。


しかし、精神面ではどうでしょう。


精神面では、Sの人がMの人に対して「感じてもらう」ためにあれこれご奉仕をするわけですよね。


言い換えれば、Mの人が何も感じないのであれば、SMという関係は成り立たないということになるわけです。


そして、Sの人は、Mの人が感情を感じる、感情表現をすることによって、初めて感情を感じられるわけですから、感情レベルではSが受動的でMが能動的となるわけです。


精神面ではSが受動的で、Mが能動的、ということですね。

 

つまり、Sの人は日常生活、特にSEX以外の生活においてはかなり自立されている状態にあることが多いと感じられます。


自立している状態のとき、感情は自立すればするほど感度が鈍ってきてしまいますので、結果として感情を感じるためには何らかのきっかけが必要になってくるわけです。
Sになるのはその手段の一つともいえるでしょう。

さらに、これは私の考え方なのですが、Sの人の多くは、日常生活の中ではかなり抑圧されている(もしくは抑圧されていた)経験がある方が多いのではないかと感じます。


言い換えれば、パートナーに対してはSですが、別の誰か、何か、たとえば親や上司であったり、社会や仕事であったり、そのようなものに対しては、自分がMでまわりがSと感じている可能性があるわけです。

抑圧されている自分と同じ状態をパートナーに協力してもらって、心の抑圧を目で見える形で再現することによって、心と体の不一致をなくそうとしているのかもしれません。

そして、ここではもう一つ大切なことがあります。
それは、Sの人がMの人にしていることは、Sの人が普段自分に対してしていることでもある、ということです。


もちろんSの人全員がそうであるとは言いませんが、多くのSの方は、自分で自分をいじめているところ、つまりひとりSMをしているところがあるわけです。


その心の状態を現実に表現したものが、パートナーとのSM行為になる、というケースも見受けられます。

 

では、Mの人はどうなのでしょう?

Mの人は、現実的な主導権をSの人に任せるわけですから、見た目には依存的に移ります。


しかし、先ほどもいいましたが、Mの人が感じなければ、Sの人の目的が達成できないわけです。


なぜなら、Mの人が感じているのを見て、初めてSの人は感じることができるからです。

 


実はMの人って、心理面では相手をコントロールできる立場にあるということなんですよね。

 

では、Mの人は、普段感情表現をしていないのでしょうか?


おそらく、Mの人は全く感情表現をしていないわけではないのでしょうが、Sの人から見た場合、自分の知らない感情を隠しているように感じられてしまうのかもしれません。

 


隠しているものは覗きたくなるわけですから、見せてくれるまでいろんなことをしてくる、ということになります。


多くの場合、ここで隠しているものの正体は「恥ずかしさ」なんですけどね。


それはSもMも同じで、相手を辱めることによって自分の中で抑圧した「恥ずかしさ」をお互いに表に出すことができるからです。

 

また、Sの人と同じように、普段自己嫌悪が強くて、自分を責めてばかりいる人も、先ほどの「ひとりSM]状態になりますから、心の中の状態をM側として表現するケースもありえるわけです。

 

そしてこれは、私の経験(プレイとしてではないですよ、念のため)であったことなのですが、Mの人が縛られることによって、Sの人を束縛する、というケースがありました。

 


面白いですねぇ。
Sは体を縛るけれども、Mは心を縛るわけです。

 


しくみはこうです。
「私はあなたにこんなに恥ずかしい自分を見せているの、でも、あなたにだけしか見せないわ」。

 


この「あなたにだけ」これは男女共通で殺し文句でしょうねぇ。

 

正直なところ、SとMというのは、「どちらかがSでどちらかがM」というのはありえません。

 

それは自立と依存の関係も同じで、「状況によって自立したり、依存したり」というのが普通なんですよね。


これと同じで「状況によって、SになったりMになったり」するのが一般的なわけです。


たとえば、絶えず自立している人は、ある特定の何かや誰かの前だけでは依存する、というのは誰にでもありますから、同じようにパートナーに対してSの人は、他の誰かに対してはMである、とういことは十分考えられるわけです。

 

そして、本来のSMというのは、この「自立と依存」の関係を楽しむ行為の一つと考えていいでしょう。


楽しめないのであれば、お互いが行為の持つ意味と、自分と相手が持つ抑圧されたものに対して、充分な理解とコミュニケーションが必要なんですよね。


この「充分な理解とコミュニケーション」がない場合、SMはプレイではなく、本当の拷問になってしまうわけです。

 

SMは心と同じ、お互いの理解と信頼によって初めて楽しめるものですから、相手を大切に扱いながら、安全に楽しんでくださいね。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

 

 

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