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2016/1/19(その2) 21年前(4)

この内容は、昨年1月にメーリングリストで連載したものです。

 

翌日、水の確保に山に登ります。

わき水を汲みに。

 

ポリタンク一つ汲むのに約30分。

 

寒さの中、ひたすら水を汲みます。

 

水道が出るまでの約一ヶ月間

朝の日課になりました。

 

 

震災から3日後

大阪からいとこが車でやってきました。

15時間かかったそうです。

 

大阪は被害がほとんどなく

コンビニやスーパーからものがなくなった事を聞きました。

 

そのときの差し入れの唐揚げはおいしかったです。

 

またこの日

彼女のところにいき

救援物資をいただきました。

彼女は私が死んだものとあきらめていたそうです。

 

あとあとそれが騒動になるわけですが

それはまた別の話。

車で往復15分のところを

往復8時間かかりました。

 

 

4日後

 

会社の命令で出勤します。

母の原付を借りて

 

途中、道路の陥没に引っかかり

パンクして動けなくなりました。

そこから歩いていきました。

 

会社はなんとか持ちこたえているようでしたが、

すぐそばまで火の手が来ていたらしく

もう少しで全焼でした。

 

専務が一言

「燃えたらこんな会社、さっさとつぶしたのになぁ」

まあなんとも言いようがありません。

 

会社は危険な薬品があちこちに散らばり

立ち入る事そのものが危険な状態でした。

それでも命令ですし

仕事にならないですから

危険と承知で作業にあたります。

 

ありがたい事に水道は生きていましたので

冷たい水でガラス器具を洗浄します。

手の感覚がなくなるくらい。

 

このとき

初めて町の様子を見ました。

 

言葉になりません。

 

ただ呆然と見つめるだけでした。

 

その日の夜、友人から電話がありました。

当時まだ普及していなかった携帯電話からでした。

 

まだ一人と連絡が取れない。

 

明日、彼に会いにいこうと決めました。

 

 

5日目

 

連絡の取れない友人の住んでいるところにいきました。

生きていました。

元気そうでした。

 

彼のエピソードはたくさんありますので、後日お話しします。

 

 

6日目

会社の同僚を訪ねました。

アパートの2階に住んでいたので

助かったとの事。

 

アパートの一階はぺしゃんこで

やはり住人はなくなったそうです。

同僚も財産をがれきから出せなくて

向かいの工務店の駐車場を借りて

寝ずの番をしていたそうです。

ストーブ一つでね。

 

このころ、すごく泥棒が多かったんですよ。

がれきとはいえ、そこには財産があるわけです。

みんな必死で守ってましたね。

 

 

続きます。

 

 

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